貴方だったらどうする?

2000年5月3日午後1時、西鉄の高速バス「わかくす号」に何十年ぶりかに乗った為、人生が大きく変わった。何十年も福岡に出るには柳川から電車に乗って行ってた。「何百万分の一」の凶行に遭遇・・・・。JR佐賀隣のバスセンターを出た。乗客は、21人、佐賀県川副町の会社員岸川正之さん(53歳)は、最後尾の窓側に座った。凶行は直後から始まった。出発して間もなく何か変な声が聞こえたなと思い、読んでいた単行本から目を上げた。刃物を持って少年が立っている。あれ?牛刀じゃないか。昔レストランをやってたから分かった。携帯電話で2度110番したがかからない。市外局番をつけたせいだって後から分かった。女性は前、男は後部座席に分けられた。補助椅子で塞がれて前には行けない。犯人は一人か?他に武器は無いのか?色々考えて「とにかく警察に知らせなきゃ」と降りる機会を狙った。3時間はたったでしょうか。山口県の下松サービスエリアの辺りでスピードが落ちた。今だ!と窓に手をかけた。でも30センチしか開かない。足で蹴ったがガラスが割れない。焦った。結局狭い窓から頭から外に飛び降りた。足にちょっと怪我をした。まさかそれが・・・・。17歳の少年が女性3人を刺した。一人が死亡、二人が大怪我、運転手と男性の乗客5人は無事。「男は何をしてた」と言わんばかりの報道もあった。「逃げ出した」「(男性乗客達は)自分で自分を責め続ける他ない」そんな文句が並んだ。批判は甘んじて受けますが、早く警察にと一生懸命だったんです。被害者の方から「見捨てた」と言われるなら辛い。でも・・・・・見捨ててはいません。命がかかる場に立ち会ってみないと分からんですよ。左手に巻いた上着で牛刀を受けたとして、右手で何とか出来るか。決死の覚悟が必要。そんな英雄的な行動を取るか、このままじっとしていて卑怯者と言われるか。最後尾から走って行けばその前に誰かが切られる可能性がある。最悪時間ばかりが経ち前から順番に傷付けられて行く事もある。家族のために自分はどうすればいい・・・・・。ああ神様、「佐賀バスジャック事件」、惨劇に巻き込まれ脱出した男性(岸川正之さん 53歳)の二年、「ここに訴える」。一ヶ月後、従業員十数人の家具製造会社を辞めた。
事件の渦中に入っとるとですよ。警察の事情聴衆や実況見分、マスコミ取材がほぼ毎日、半日も休むと仕事にぽっかり穴があくですよ。同僚は温かい言葉をかけてくれましたが、小さな会社だから私には負担に感じた。限界で失業保険もらって新しい職場を見つけたのは少年の処分が決まった2000年の9月でした。閉所が怖くて今だって5、6階だったらエレベーターに乗りません。不思議に思いますよ。普通の親父にこんな事が起こるのかって!?でもこんな事件に関わっても、私はそれまでの私と変わっていない。事件そのものにコメントはしたくない。少年のご両親は2度見えましたが、その時の事も話したくない。私を気遣ってくれた母親も2001年に病気で亡くなりました。事件より辛かった。今一番辛い思いをしているのは、家族だと思います。娘が隣町の男性と付き合いだし、その男性の家族に会いに行った時、その家族の一人が娘にどこの娘さんだと尋ねた。娘は「川副町の岸川です」と言うと父親が「バスの窓を開けて逃げた男の娘さんか?」と言われ、娘は帰って来て自分の部屋に閉じこもり出てこなかった。その後その男性とは会っていないという。私は家族に対して、娘に対して申し訳ないと思っている。懺悔の日々を過ごしています。私は「バスの皆を見捨てたわけではない」なのに・・・・差別をするな!の字とともに貴方ならどうする?と問われた。(FAXで)この件、時評を読んでいただいている皆様に問いたい。貴方ならどうする?私は貴方のとった行動は決して卑怯ではない。「逃げるも勇気、止まるも勇気」その時にその場でとった行動が、その人の正しい勇気だと思う。何も恥じる事はなく、胸を張って生きてほしい。(渡邉幸雄判断)
《2000年9月5年間以上の医療少年送致とする保護処分に決定》