予知前提の備えに限界?

紀伊半島や四国の沖で繰り返し起きてきた南海地震と東南海地震。十九世紀には高さ11メートルの津波が襲ったとの記録もある。政府の地震調査委員会が先頃、確立予測を発表し、本格的な備えに向けて、ようやく歯車が回り始めた。東南海地震(M7.9)は、戦時中の44年、南海地震(M8.0)は46年に起きた。それ以前のM8.6などと比べて小さかったため、「次の地震は、案外早くやってくる」との見方は研究者の間で定説に近くなっていた。発表は、これを公式見解として認めたものだ。「ただちに切迫性があるとは考えられないが、予知できないことを前提に対策をとって欲しい。調査委事務局の須田秀志文部科学省地震調査研究課長は記者会見でコメントした。今後十年以内に発生する確率を計算すると、10%程度。50年以内なら80〜90%になる。一般にはなじみの薄い「確率」で発表したのは「次の地震が起きる時期はいつ頃と発表すれば、地震予知になってしまう」と担当者はもらす。4半世紀前、「明日起きてもおかしくない」といわれた東海地震の対策の中心は予知だった。前兆をとらえて警戒宣言を出し、住民を避難させるという戦略だ。しかし観察や研究が進むにつれ、予想以上に難しいことが分かってきた。今では運がよければ、予知できる」(地震学者)だ。予知を前提にしてきたため、古い住宅の耐震補強など震災に強い町づくりは進んでいない。日本列島の南側では、フィリピン海プレートが陸のプレートを引きずり込みながら沈み込む。このため四国沖にかけての海底に、南海トラフ沿いに発生すると予想されているのが東海、東南海、南海の三つの地震だ。陸のプレートのひずみが限界に達すると、ばねのように跳ね返って巨大地震となる。東海地震の想定震源域は、もう約百五十年も動いていない。しばらく起きないとすると東南海地震と一緒に発生する可能性が高くなる。四十四年の東南海地震の死者は約千二百人、四十六年の南海地震は千三百人。十五世紀末には四万人もの犠牲者がでている。消防庁によると、四国、近畿を中心に十一府県が次の地震に備えて、地域防災計画に被害想定を盛り込んでいる。だが、津波の高さや震度などの想定方法が異なり、死者数などの推定に大きなばらつきがある。愛知県は「東海地震で手一杯だった」とし、本格的な取り組みはこれからだ。過去の例では揺れより、十メートル前後の大津波による被害が甚大だった。消防庁では「津波対策のほか、古い住宅の耐震化、住民の防災意識の啓発、広域的な連携などが今後の課題になる」と話している。予知を前提にした備えに限界がきているのは事実だ。いつ起きても不思議に対する万全の備えが急がれる。
 余りに血の通っていない行政に対し、八千人の命を軽々しく考えている市を追求し、改善していかねばならないと私は述べた。ちょうど本紙発行日に、週刊朝日の○○・十・二十日号131ページに高知県土佐湾の記事が載っていた。神戸、島根の大地震の後、「四国沖合の巨大地震」の予兆だというのは、力武東大名誉教授だ。この様な内陸型の地震は四国沖合の巨大地震の予兆である場合が多い。『南海地震』といわれるもので、この地震が起きれば、大津波で、紀淡海峡を越えた大阪湾にも大きな被害をもたらす危険性が高いと述べている。この様に、土佐湾はさらに被害が大きくなると我々に巨大地震の警告を与えてくれた。ここに書かれている様に、明日にも来るかも知れない地震、津波に対し、まだ避難所の確保、橋が倒壊した場合の避難方法など、まだ手付かずのままである。もし南海地震等の津波、地震が襲ったら「すみません」「申し訳ありません」では済まない。行政の不手際は、この人達の末代までの語り草になるだろう。行政の責任に対して「あの時の市役所の人間は、あの時の助役は、あの時の市長は」と。この時の行政関係者は、もうこの町に住む事が出来なくなるだろう。行政関係者に再度強くいいたい。市民病院を建て直す前に、この海に面した町に対してやる事があるのではないか。大地震対策に対し、こぞって役所に出向き要望しようではないか。もう少し強く、役所に訴えようではないか。声を大にして「早くしろ!」と。