力による再建

 NHKの大河ドラマ「葵徳川三代」のなかで、徳川家康が次期将軍となる秀忠に帝王学をたれる場面がある。家康日く「人の上に立つ者は、心に一匹の鬼を飼っておかねぱならない」と。ある新聞で「そごう社員よ、日産に再建策見習え」という見出しを目にした。
 そごうの和田繁明社長が、閉鎖店で継続雇用を希望する社員に対し、業績を急回復させている日産自動車を例に、そごう再建策についての論文を書くように求め、それを選考基準の一つとするのだという。どうやらそごうは日産自動車的な再建を目指しているようである。果たして和田社長は、一匹の鬼と化すことができるのだろうか。日産自動車はルノー出身のカルロス・ゴーン氏が、極めて日本的でない方法によって行ったからこそ再建できたのではないか。
 決して綺麗事ではないのだ。表に出てこない陰の部分にこそ目を向けるベきである。日産自動車に関係する人達がどれだけ泣かされたことか。
 和田社長は「経済専門誌」に掲載された記事「改革の実践論」を取り上げて発言しているのだと思われるが、時評氏はある航空会社に対し、二年に渡り株主総会で「企業価値を高める為の改革を」と言い続けてきた。
 議長は、そんな事はわかっているといわんばかりの顔をする。それならば表と裏を使い分けしっかり改革したらよさそうなものだが、一向に改革できないままである。恐らく日産自動車のようにとんでもない犠牲者が出るから断行できないのではないか。人の恨みをかぶる気概など毛頭ないのだ。
 そごうの場合も外国の人でないと完遂できない改革なのかもしれない。民族の違い、文化の違いが大きく横たわっているように思えてならない。東洋的な考え方では、まずできないだろうと断言できる。和田社長はこの期に及んで、日産再建を「そごうにあてはめた時、何をなすべきか書いてほしい」などと訴えている。この時期に「何をなすべきか…」なんて言っている様ではまだまだ先は遠い。
 「何をなすべきか…」ではなく「こことここをこうする」でなくてはいけないのではないか。「力」でねじ伏せた日産の様に断行したならぱ、多くの自殺者が出ることも覚悟しなけれぱならないだろう。すべての感情をかなぐり捨て、人間という二文字を捨て、鬼になる事は日本人社長にはできない。ためらいがあっては改革はできない。相手の目を見て、また涙を見、それが快感になるようでなければ改革は難しい。
 すべて「力」でねじ伏せる事によって、はじめて再建が成就する。