お祓い(良い事は言うけど、良くない事は言わない)C今回の話しで4回続いて書いています、一番大切な事は、最後は自分が判断して決断するのだと、いう事です。 人から「こーしろあーしろ」と言われてやるのではなく、自分が後悔のない様に判断して、結論を出すのです。 若いと、そうもいかないかも知れないですけど、だけど、最後は全て自分に跳ね返って来ますからね。 それは、子供の事もそうですよ、折角授かった大切な命を、若気の・・・とかで、堕胎はね、感心しないです、前に言いましたけど、その人にはその人の事情があると思う、でも後々必ず後悔する行為なんです。 つくりたくてもつくれない人、又育てたくても育てられない人が、沢山いるという事を考えれば、頑張れとね。 私から声を掛ける事はしません、ただ余り凄いと「食事しませんか」とは言いますけどね、話を聞くんですよ。
前回まで書いた「お祓い」の事で、お偉いさんに言わなかった事があるんです。 それは、その子供がサウナ室にいたんです、毎回毎回偉いさんが来る時に、一緒に憑いてきていたんですよ。 でも、毎回泣いている様に見えました、悲しんでいますとは言えないです、だったらいないと言ったらいいと。(言おうか言うまいか考えたんです、家の住職が良い事は言っても、良い事でない事は言わない方がいいと) 私がサウナ室から出て、水風呂に入って又サウナ室に戻った時、一度だけ笑っていましたね、何故笑っていたか、お偉いさんが「今日はいないか」と、大声で聞かれた時、私が「いません」と、言って、皆んなで後ろを見たり、キョロキョロした時に、笑っている様に見えたんです、だから「笑って」いましたと、言ったんです。 2人の叔父さんがサウナ室から出て水風呂に入っている時に、その子供は何かを「喋ったんです」でも、私には聞こえないと言うか、何を喋っているかが分かりずらかったんです。 ただ「ごー」と、しか聞こえなかったです、あれは何だったんだろうと思います。
名古屋場所が終わって東京に帰り、何ヶ月かした日に、お偉いさんと奥さんの2人が東京にお見えになり、食事をご馳走になりました、焼き鳥の美味しい「阿佐ヶ谷で一番」のお店です。 食べ終わる頃、二子山親方(初代・若乃花)がお見えになり、お偉いさんとお話をされていました、その間奥さんと話しをしましたら、奥さんは私の話が色々聞きたくて、擦り寄って来る様にして話しを聞いていました。多分お子さんの事が聞きたいのだと、思っていましたから、ハッキリ言いました。
一度だけ、私に話し掛けて来たんですよと、それは何を話されたのか分からないですが。 ただ「ごー」としか、聞き取れなかったです、何を言っていたのか分からなかったんですと、言いましたら。 突然奥さんは「凄い大きい声ともいえる、嗚咽の声で」お泣きになりました。 隣にいた二子山親方がビックリして「ナベ、何を口説いている」と、言われましたが、周りの人は黙ったまま。
お偉いさんが奥さんに「今日はナベに会って良かったな、東京に来てよかったな」と、言われていました。 二子山親方も、ワシも「ナベには、良く泣かされる」と、偉いさんと奥さんに話されていました。 二子山親方の話は、今回話しをすると、長い話になりますから、機会がありましたら、掲載します。 帰る時に阿佐ヶ谷駅の改札口で奥さんから「ご祝儀」を頂きました、その時、隣で偉いさんは、黙って見ているだけでした、奥さんは一言「名前です」と、言われて、お帰りになりました。 それから、一年で何度も何度も2人で、私に会いに来ました、時には「相撲・ハワイ巡業」の時も2人でハワイに来られて「ナベ、食事するよ」と、ご馳走になり、ご祝儀を頂きました。
お偉いさんはこんな事を言っていました「いい言葉を聞く時は、一年掛かってもいいと、それでも期待した言葉が聞けない時は(感動する言葉や有難い言葉や人生の教訓になる言葉)死ぬまでに巡り合えればいい」と、仰った。 だから毎回毎回、東京に来て「ナベに会って何かを聴ければ」いいと、女房と話さなくてもお互い分かっているから、ナベに会いに来ていると、仰っていました。 だから自然に話し、行動し「無理に期待に答えよう」と、しなくていいと、言います。 ただ、ナベの顔を見ていれば、我々は「気持ちが落ちつく」と、だから2人で何を言うでもなし、気が付いたら「ナベのいる所に行く用意をしている」と、目を真っ赤にして話された。
中国には3回ほど3人で行きました、旧満州にです「長春」に行って花を手向けたり、桜を植えたりしました、もう暫く行ってないですが、桜は大きくなっているでしょうね。(そうそう一回、谷さんも中国・長春にね) この夫婦の亡くなった子供の名前が「剛一・ごういち」と、言っていました、なるほどね、納得。
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