お祓い(自分の事はちゃんとしなよ)A

今日で3日続けて名古屋キャッスルホテルのサウナです、昨日の神社のお偉いさんから来てくれと、言われましたから、横綱を緑山ガーデンまで乗せて行き、帰りは貴乃花関の車で一緒に乗せてもらって帰るからと。

横綱から「お前は話を聞いてゆっくり帰って来い」と、言われましたから、そのまま名古屋キャッスルホテルのサウナに来ています。

フロントに行きまして、お金を払おうとしたら、ロッカーの鍵をくれて『お金』はいいですと言われた。

甘えて中に入ると、もう2人はロッカールームで、お待ちでした。

サウナ室に入って少ししたら、お偉いさんと社長が入って来られた、今日はどうだ「いないか」と、入って来るなり聞かれたから、今日も「ません」と言うと、そうか「いないか」と、残念そうに腰を下ろされました。

少し沈黙があり、汗が出てきたら、偉いさんは私の顔を見て「何か言う事ないか」と言われました。

私は「はい、聞いてもいいですか」と、言ったら。

何でもいいぞ、正直に答えるから「何が聞きたい」と、私をマジマジと見ながら言われた。

少し間を置いて「普通は男にはかないんですが、どうされました」と、聞きましたら。

良く聞いてくれた、今まで誰にも話してない話だ、家に居る女房以外は誰も知らない事だと、言われました。

 

 

誰にも話せない話だから、よく聞いてくれと、言われ(涙を流しながら話し始めた)今から何十年も前に戦争で満州に行った、行って直ぐに終戦になり、乳飲子を抱えてどうしたらいいかと思っていた、周りにいた日本人と考えに考え「中国人にもらってもらおうと」少しばかりのお金と子供の服、食べ物を渡してお願いした。

 

その時は「ソ連」が満州に攻めて来たからな、我々は死んでもいいけど、子供だけは何とか生きてほしいと思い「中国人に預けた」それからと言うものは、何がどうなったか分からないほど、日本人皆んなで逃げた、着の身着のままで海の方に逃げた、日本の方角に皆んなで逃げた、何日も何日も食うや食わずで逃げた、もし子供が一緒だったらと思うと、間違いなく我々家族は全員死んでいたと、言われた。(それはどうしてか、本当の親は子供ががれば子供の痛がる事をしない、もしソ連から逃げていて、子供がでも出したら、逃げるのを止めてそこに止どまる、逃げるのを止めれば死ぬ)

そんなに凄かったんだと、今更感じた。(でも、日本人て凄いと思いません、ソ連にこんな事されても・・・)

何とか、日本に帰れるようになった、船に乗る時に「女房がずっと山の方を見ていた」ワシは察しているから、そっと近づき女房の肩に手をあて「落ち着いたら、迎えに来よう」と、言うと、女房は「笑顔になり、はい」と言って船の中に入って行った。

日本に帰り、5年が過ぎた頃、女房を連れて満州に行った、訪ねて探して回った、たった5年で満州も変わっていたから、なかなか分からなかった、一週間が過ぎやっと預かって貰った中国人夫婦を見つけた、戦時中はワシの家族はこの中国人夫婦を良くしてやったからね(中国人夫婦を差別なく面倒みた)だからワシの息子はちゃんと面倒見てくれると信じていた。

中国人夫婦と会ったら、皆んなで抱き合って喜んだ、でも息子は預けてから1年後に病気で亡くなったと言う。

 

女房が泣き崩れて立ち上がれない、暫くして、中国人夫婦はその子供が埋葬されている所に連れて行ってくれた、行ったら「びっくりした、それは素晴らしい墓」が建っていた。

ワシが上げたお金を使わず、そのお金で子供の墓を建ててくれたと、それから子供が病気になったら、歩いて5時間かかる病院に、何回も何回も歩いて子供を背負って連れて行ってくれたと、隣の中国人夫婦が言っていた。

我が子の様に面倒見てくれたと、聞いた「その行為事態が大変な事だったと」隣の中国人から聞いた、ワシら夫婦が出来なかった事をやってくれたんだと、感じた、本当に有り難かった。

それから、毎年毎年その子供の墓に行った、訪ねて行くと「き」が聞こえる気がした、土と墓を連れて来た。

今はご先祖様と一緒にいて貰っている、日本に帰って子供が2人でき、仕合せな生活をしている。

すると、一緒に来られていた社長が「目を真っ赤にして」初めてお聞きしました、と、言いましたら。

 

女房の事を考えたら、ワシは仕合せな方だ、何にも言わない女房は「辛いし、悲しいし、切ないし、侘しいし、一番は愛おしい子供と思い、夢に出て来て」える(うったえる・相手の心や感覚に強く働きかけて来る)だから、何時も自分の周りにいるんではないかと、気にして、感覚を感じている、女房の姿が愛おしい。

その姿を見ていたら、申し訳ないと思って、何時も女房の側にワシはいる、せめてもの罪滅ぼしだと思い。

 

次回に期待して。