お祓い(鯉幟・こいのぼり)毎年今頃になりますと、体調が優れない人が多いですね、季節の変わり目と、春になって気分が良くなり、外に出歩く機会が出てくるからですね、花粉でやられたら、部屋に閉じこもり暗い日々を過ごしますからね。
昔は部屋から出られない人間の為に、部屋の中から外を眺めて和ませる為に、色々な事が外で模様されたと言われています。
その一つが鯉のぼりです、こいのぼりの風習て、知っていました。5月5日が終わって書く所が良いでしょう。
私の田舎の高知県土佐市では「代々、侍の子孫が家の庭に」こいのぼりを高々と掲げていましたね。
当時の庭に立てられていたのは、鯉のぼりではなく「武者のぼり」と言われる物でした。
我が家はお寺(日蓮)でしたから、頂いた「武者のぼり ・こいのぼり」を、家の庭に掲げていました。 武者のぼりの起源は、戦国武将の「旗指物」にあるとされています。
旗指物って何?と思ったら、
時代劇の戦いのシーンで、家紋のついた旗を掲げていたり、馬に乗った武将が鎧に旗を挿して走っている。
そんな場面を、思い出してみてください。
そこで使われている旗が「旗指物」といわれるものです。
それにしても、戦場で使われていたものが庶民の間に浸透したというのは、不思議なところです。
武者のぼりを端午の節句に立てたのはなぜ?
室町時代末期の武家社会では、
「端午の節句に、旗指物を虫干しをかねて飾る」
という風習があったそうです。
端午の節句の武者のぼりは、庶民がその風習を真似た事が始まりとなり、日本全国各地で立てられるようになったと言われています。
旗指物と武者のぼりの違いは分かりますか。
テレビの中で目にするとおり、旗指物には家紋だけが描かれています。
庶民が立てた武者のぼりには、(中国に伝わる道教系の神)や金太郎、武者絵などが描かれていました。
鯉のぼりの一番上には、吹流しがあります。
5色(青・赤・黄・白・黒)からなる吹流しの色は、古代中国の「陰陽五行説」に由来しています。
陰陽五行説とは?
陰陽五行説は、この世の全ての物は、陰と陽の二つの気及び、木・火・土・金・水の五行で成り立っていると考える思想です。
そして陰陽五行説で表す色は、それぞれ青=木・赤=火・黄=土・白=金・黒=水となります。
五行には色だけではなく、方角や季節、人の人徳や感覚器官など以下の通り、さまざまな事が配されています。青=木・赤=火・黄=土・白=金・黒=水は大切だと言います。
「江戸っ子は皐月の鯉の吹流し」と言われるように、こいのぼりは「幟(のぼり)」とは名づけられているものの、形状は魚を模した吹流し形であるみたいです。
そもそも、こいのぼりは門松や雛人形と同じく、江戸時代中期の裕福な庶民の家庭で始まった習慣です。
端午の節句には厄払いに菖蒲を用いることから、別名「菖蒲の節句」と呼ばれ、武家では菖蒲と「尚武」と結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となった。
この日武士の家庭では、虫干しをかねて先祖伝来の鎧や兜を奥座敷に、玄関には旗指物(のぼり)を飾り、家長が子供達に訓示を垂れた。
一方、大きな経済力を身につけながらも社会的には低く見られていた商人の家庭では、武士に対抗して豪華な武具の模造品を作らせ、のぼりの代わりに黄表紙の挿絵などを見ると五色の吹流しを美々しく飾るようになったみたいです。
さらに、吹流しを飾るだけでは芸がないと考えたのか、一部の家庭で「竜門」の故事にちなんで、吹流しに鯉の絵を描くようになった。 現在の魚型のこいのぼりは、さらにそこから派生したものみたいです。
本来は真鯉(黒い鯉)のみで、明治時代から真鯉(まごい)と緋鯉(ひごい)の対で揚げるようになったが、昭和時代からは家族を表すものとして子鯉(青い鯉)を添えたものが主流となったんだそうです。
最近では緑やオレンジ、紫、ピンクといった、より華やかな色の子鯉も普及してきており、所によっては女の子も含め家族全員の分の鯉を上げる家もあるみたいです。
なお都市周辺では、1980年代以降の住宅事情(庭付き一戸建て住宅の減少とマンションなど集合住宅の増加)や少子化などのため、後述の童謡に歌われるような、民家の庭に高々とこいのぼりが揚がる姿を見ることは少なくなったみたいです。 色々興味を持って調べてみると、面白いですよ、好きなように書いています。少しは勉強になりましたか。
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