お盆(人の手助けがいる) 毎年来ます「お盆」は皆さんの手助けがないと出来ないのは、ご存知ですよね。何故手助けがないと出来ないか、それは皆必ず「死ぬ」のです、そうすると誰かのお世話にならなければならないのです。又、亡くなっている人を「お盆」に自分達の自宅に迎え入れ、食べ物の供養をする事も「お手伝い」なのです。我が住職はいつも言っています「生きている人間も、死んでいる人も」何らかの手助けがいると、大きい小さいはさておき、手助けがないと生きていけないのだそうです。
住職はこんな話もしていました「おぼん(お茶やお菓子やモノを運ぶもの)は丸い物四角い物がある、その<おぼん>は必ず回りに淵がある、その淵は載せている物が落ちないようにしている、その載せている物は誰かの手助けがないと<おぼん>の中の物は外に出せないんだとか」なるほどね。
だから私達もこの<おぼん>と同じように「会社や学校」の外に出たり入ったりする時には、人の手助けがいるんですね。
その「淵」とは家で言えば「玄関」だと、「淵」の無い所にいると流されてしまうみたいです。
前にも書きましたが下記の文章を良く頭に入れて下さい。
我が家の住職の話を聞いていると。昔お釈迦様の弟子に「木蓮」(もくれん)というお弟子さんがいた。その木蓮のお母さんが良い方ではなかった、「大変な悪女」であった。このお母さんが亡くなり「木蓮がお経を唱えていたら、盂蘭盆(うらんぼん)という「地獄に落ちて」逆さずりにされたりしのたうち廻っている有様が眼に写り、そんな母親でも可哀想になりお釈迦様に母親を助けてくれるようにお願いした。お釈迦様はお前一人では助ける事はできない、弟子の皆を集めるように言われた。
弟子達の修行は毎年雨季の4月から7月に掛けて行われていた為、修行が終わって皆で集まったのが7月15日であった。
「お経を唱え、皆で木蓮の母親の供養をした、皆が供養してくれたお陰で、木蓮の母親はその地獄ともいわれる世界から助け出されたといわれています。」この日を境に亡くなった人の供養をするようになった。日本全国でこの日に供養し「お盆」といわれるようになった。今は「お盆は」8月15日ですが7月には農家の方たちの農作業が忙しい為に、8月になったといわれています。
その方にこんな「悪女でも天国に行くことができたんですよ」と言うと「じゃ俺も天国に行けるな」と笑っていました。私は何故そんなに「天国」に拘るんですかと聞いたら、「おっかあ、おとうが居るから、どうしても会いてえ」との事でした。
会ったらな「妹は約束通り守ったからな、と報告しないとな」と言っていました。そういう気持ち「思いやり」があれば必ず「天国」に行ったはず、また必ず行けると思います。「お盆」にご先祖様や親族や知り合いの方が亡くなっていると「お盆」を境に亡くなる方が多いといわれています。
呼び込まれないように日頃から体には気をつけましょう。又必ず「お盆」にはお墓参りに行くようにしましょう。 これがご先祖様に対する「思いやり」です。
お盆に行けない人は、自分の行ける時に必ず「ご報告」に行きましよう。
自分の「苦しみや悩み事を」ご先祖様にお話になる事も「大変喜ばれる事だと」言っていました。
体調の悪い方は悪い場所を「墓石を奇麗にする」洗ったりする事が体調を良くするのです。
当然墓石の周りの草等は全て刈る、草が一番よくないのです。必ず守りましよう。
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