トイレに神様がいるのを信じますか

私の家はお寺の為に、代々トイレにはカワヤガミ 厠神 かわやがみ (便所神様、トイレの神様)が居ると、昔から言われています。かわやのかみ(厠の神)は日本の伝統、庶民信仰の、家の神様のひとつとして便所に祭る神様です。 男女神様、または女神様、または目が見えない、手がないという不具神様とも、言われています。トイレに神様を祀ることは日本中でみられます。各地で、トイレの事、神様の名前、祭事について、様々な呼び方、風習があるのです、ところ変われば呼び名も変わるのです。妊娠・出産とトイレ・厠・便所との関わりは深く、妊婦がトイレを掃除すると奇麗な子供が産まれるというのは、全国共通だと言われています、この様にして言い伝えられているのです。また便所を汚くしておくとアバタの子、不具の子が生まれ禍を与えると、言い伝えられています。 セッチンマイリ「高知ではトイレの事をセンチと言います」(雪隠参り[雪隠はトイレの事])という作法が東日本でよくみられ、赤子が生まれて七日後に 産婆が赤子を抱いて厠に参る儀式があると聞きます。やはり雪隠参りをすると美人になるとか、しっかりした子になるという事が、まことしやかに語り伝えられているのですね。西日本ではお七夜に、名づけ祝いが尊重されるようです。 色々な方が言うにはトイレ、厠は我々の世界との境界だと考えられているようです。 厠に関しては、何かをする時、厠が関係する決まりごと、厠に関わる時のやってはいけない事など多くの言い伝え、風習があると言われています。高知県では生まれて死ぬ迄、厠にはお世話になるので生まれたら、厠にお祝いの餅を飾って 祝うのです。福岡県では厠神様は「センツーの神様」という美しい髪を垂れたお姫様ともいわれ、この神様を信心するなら、他の神に手をあわせてはいけないと言われているみたいです。

卜部(うらべ)神道では男女二神様、埴山毘売命(ハニヤマヒメノカミ、はにやまひめのみこと 土の神様)水波能売神(みずはのめのかみ、ミズハノメノカミ 水の神様)茨城県真壁郡明野町では626日がチョズバギオンといい、チョズバ(ちょうずば手水場 手洗い[トイレ])にうどんを供える、 紙で女の人形を作るという。真壁郡の他の場所では男女の人形の場合もあるみたいです。 厠の神様は祟りをなすともいい、目、歯、耳におこるという。逆に流行の眼病の治癒を厠神様に祈るなど健康を祈願する事もあるみたいです。 日本全国では、多くは正月と盆に青柴(あおしば)を上げる程度での祀り方があるみたいです。 2010年に「トイレの神様」という歌が大ヒットしましたが、詞でいわれている「トイレを掃除するとトイレの女神みたいに綺麗になれる」 というふうに歌詞に歌われています、妊婦が便所掃除をする事で美しい子供が産まれる、という言い伝えかと思われます。またトイレの神様が女神様とされることもあるのです。 お寺さんやお年寄りは昔からの言い伝えを守って今日に来ているのです、必ず何かあると思います、年寄りに聞いたところ、女の子には、トイレを奇麗に掃除すると綺麗な人になる、と言われていました。家の神道関係の祭祀者は母親、女性がおこなう風習だといいますが、今は子供の躾になっているように感じました。良い傾向ではあると思います。先人の言い伝えを次の世代に言い伝えてこそ、良い所のモノが受け継がれている、日本の良いモノは後世に残すべきだし、残さなければなりません。心から綺麗にトイレを掃除する事で、自分の内面の全てのモノの洗濯になります。その人の内に秘めたモノが洗濯されれば、内に秘めたモヤモヤが全て取り払われてなくなり、その人間の考えや行動が直ぐに出るようになるのです、すなわち、その人間の内なるモノ「心が」奇麗になり、次の原動力になるのです。その考えや行動を直ぐに出す事で、実際に金運がアップするような事になるのです。トイレを綺麗にする事で本当に掃除した人が綺麗になるのですか?これも人それぞれで、信じて綺麗にする事でそうなる事でしょう。この場合も自分の内面を綺麗に磨いている事になるのです(誰もが臭い、汚い所を掃除すると、嫌な顔をしたり、鼻を摘んだり、愚痴を言ったりするのです)、トイレをピカピカに磨く事は、自分自身をピカピカに磨く事と同じ事になります。トイレを綺麗にする事で本当に運が良くなるのですか?「はい、良くなります」すなわちトイレへの感謝の気持ちが大切なのです。いつもいつも家族全員の排泄物を受け止めてくれる事に感謝をしながら掃除してください。これをやればこうなる、こうすればいくら儲かるとか、損得勘定での掃除はいけません。見返りでは無く、ただ「感謝」「ありがとう」の意識で綺麗にすることで、あなたに「」の元となるパワーが湧いて来ます。それが「綺麗」になるという事です。昔の日本は「イギリスの書物に記載されているように」汚く、臭い、という印象だったみたいです。でも、皆で努力して町を掃除して、奇麗にしていたと、書いてあります。日本人は「努力家」との事です。我々の本質を見抜いてくれていますね。そう、我々日本人は「努力家」なんです。また、思いやりのある日本人なんです。我が住職曰く「思いやり」とは、稲作を心を込めて作るから「」であると、それは「田んぼを心から愛し育てる事」と聞いています。何事に於いても「」が大切ですね。まだ遅くはないです、今からでもやりましょう。全てを「奇麗に」しましょう。住職はこうも言っていました、トイレを掃除してそれでも「最悪の事象」が起こるなら、その起きた「最悪の事象」を手紙に書き、書いた手紙をに対し出せと、言われました。そうすれば2度と「最悪の事象」は起きないと。住職は、こんな事も言っていました、人は「考えて生きるのではなく、感じるがままに生きよ」と。