お祓い(憂鬱です)
「 気分が憂鬱です」と、皆さんからメールを頂きます。ひょつとして鬱病(うつ)かなというメールが多いのです。もしそう思ったら病院に行き専門の先生に相談されたら良いですよ、と言います。
鬱の人は自覚症状がありませんから、鬱だと言う人は「心の怠け者(ルーズな人)」が往々にして多いと言われています。皆(人間)生きて行く時は、楽しい事や、苦しい事があるのです。その楽しい事の裏返しが苦しい事なんです、喜びの反対は悲しみです。全て物事の裏と表が一緒に廻って(巡って来る)来るのです。失敗するのか成功するのか、叶うのか、叶わないのか、思い通りになるのか、ならないのか、以上のように全て裏表なんです。良く考えて下さい、自分の人生でそれぞれの年に応じた、嫌な事、楽しい事が巡って来てませんか?若い時は若い時にだけしか味わう事が出来ない辛さとか、中年になれば中年の時にしか味わう事が出来ない辛さとか、悲しみとか、悩みとかです。何にしろ一生懸命前向きに努力して、生きていく事です。少しの失敗や、少しの辛さや、少しの悲しみくらいで、人生の全てが終わる訳ではないのです。一番大切な事は、自分の身の丈に合った夢を見る事です。最初から高い理想を追い求めているより、自分の出来る範囲に目標を置く事です。そうすれば、自分の目標がこの辺だと分かり、目標に到達したと分かり、成功したと感じるのです。もし目標が高ければ、何処まで到達(成功)したか分からないから、途中で投げ出して駄目にする事が往々にしてあるのです。自分の身近かな、本当に簡単な事から成功させて、皆で喜びを分かち合うときっと何か良い事に遭遇すると思います。人間として先ずは(一生懸命努力したから、成功するとは決まってないのですから)結果に現れる事に専念して、自分を良く見て、自分を良く知り、自分の立場に相応しい事を成し遂げる事です。人と接する事を増やし、話をすればきっと楽しい事が増える筈です。先ずは人との対話から始める事を考えてみましょう。世の為とか人の為とかでは無く、自分自身の為に最小限の責任を果たすべきだと思いますがどうでしょう。又、人として人間として、生きる以上は、1.責任2.義務3.権利の三つは基本ですから、どんな事があっても持ち続けなければなりません。社会や人に迷惑をかけないで生きて行くには、最小限のルールを守り迷惑をかけない生き方をするべきです。人間は、今何故「生きているのか」を考える事です。私のこのホームページの一番最初に、何故働くのか、何故生きているのか、が書いてあります。簡単なようで大変難しい質問であったり、問いかけであります。自分以外の人、親(心配をしてくれる)仲間(優しさをくれる)恋人(大切に思ってくれる)全ての人達の支えがあるから、生きていられるのです。だから自分の出来る事で、世の中の人を支え、誰か人の為に、「やる気」を起こすべきです。そうすれば自ずと、自分の置かれている立場が分かり、自分が必要とされているモノが何か分かると思います。とにかく「やる気」を起こす事です。夢や「やる気」や目標が無くても「人は生きられます」知っていましたか。自分の周りの人の「心の優しさ」「自分を思ってくれる有り難さ」又一番大切な「自分の健康を思ってくれる」思いやりを感じるという事です。それを感じればもう大丈夫です。

我が住職の言葉「人間甘えが身を滅ぼす」であります。又住職曰く「心静かにして、己の尊さを見よ、念が見えるであろう」であります。「念」とは今の心と書いて、今己は何を思うか、今何を必要とするかその事を考えよ、心を落ち着けて今を見よ、との教えです。決して「馬鹿なことだけは」考えない事です。私にこの様な話があるという事は、最終的には「何かに取り憑かれて」いるからの相談でしょう。人間は必ず何らかに「取り憑かれて」いるものなのです、それが悪いモノだったり、良いモノがだったりします。ここで知ってほしいのは「有り難い憑きモノ」もあるという事です。この「有り難い憑きモノ 」を味方につけて、人生を全うすれば、良い事が続くと言われています。悪い事ばかり考えないで下さい。生きて行く以上周りに対し「礼、挨拶」の心を忘れない事です。住職がいつも言っていました、今は辛いだろうが、もう直ぐそこまで「良い事が」来ている。太陽が昇る如く、そこに昇る事が出来る。もう少し本当にもう少し、我慢していたらきっと良い事が来るよ。と

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