帝王学(相手を非難する前に無関心であれ)「(過去のレギュラー陣が座る客席側に向けて)すいません、立っていただいて。こんなに集まっていただいて、本当にありがとうございました。お忙しいなか、感謝します。出演者、スタッフのおかげで32年間、無事やることができまして、まだ感慨というのがない。ちょっとホッとしただけで。来週の火曜日くらいからくるんじゃないかと思います。
明日もアルタに行かなければなりません、楽屋の整理がありますんで。私物がいっぱい置いてあります。皆さんのおかげで、ここまでくることができました。考えてみれば、(わたしは)気持ちの悪い男でしてね。こういう番組で以前の私の姿を見るのが大嫌いでしてね。気持ち悪い。濡れたしめじみたいな感じ。嫌~な、ヌメッとしたような感じで、いまだに自分の番組は観ません。
当時、ひねくれていまして、不遜で、生意気で、世の中なめ腐っていた。そのくせ、何もやったことがなかった。それが、亡くなった初代の横澤彪プロデューサーから(番組を)仰せつかりまして、だいたい3ヶ月くらいか半年くらいで終わると思っていたら、32年も続きまして。
生意気にやっていたんですが、長い間に、視聴者の皆さんはいろんなシチュエーション、いろんな状況、いろんな思いでずっと観てきていただいたのが、こっちに伝わりまして。私も変わりまして、何となくタレントとして形を成したということなんです。視聴者の皆さん方からたくさんの価値をつけていただき、みすぼらしい身にたくさんのきれいな衣装を着せていただきました。そして、きょうここで皆さんに直接お礼をいう機会をいただけたことを感謝します。32年間ありがとうございました。お世話になりました」。
以上のようにタモリさんが発言された、この発言を聞いてどう思います。ただ淡々と発言をされたようにみえますが、此処には今迄の全ての事がぎっしりと詰まった発言だと思いませんか。
もし私に今迄の32年間のお礼を述べろと言われても、こんなに簡単に心の籠った発言は出来ないですね。
文章でも同じなんです、ただダラダラと書いてある文章は、読む人間を不愉快にしてしまいますし、読む気持ちを失わせるんですね。言いたい事を短く端的に書いてある文章ほど楽しませてくれるモノは無いですよ。短い文章ほど難しいモノはないから、書く方も相当な頭と、神経と、気を使います。
レポートで必ず一枚目に書きますよね、こんな事が書いてありますと、その一枚目の文章で中の文書を全て網羅した内容を書かないと、読んで貰えませんよね。(読まない事は無いですが、興味を持って読んで貰うのと、興味が無く読んで貰うのとでは•••)
私が言いたいのは、何事に於いても「心の籠ったモノ」を提供すると言う事です。
我が住職が言っていました、愛情の反対は憎しみではなく、「無関心」だと。
誰でもある一定の期間を過ぎれば皆「無関心」になるのです、それは遅いか、早いかの違いだけなんです。気にする事ではないし、それが当たり前なんですね。上手くいく「秘訣」なんでしょうね。
分かりましたか「秘訣」とは全てを上手くいかせるには「無関心」という事です。
又住職はこんな事も言っていました「辛い時に直面したら、真っ正面から辛い事に向かうのではなく、その辛い事を避ける工夫をしろ」と教えられました。
それは辛い事から逃げろと言う事かな(中学2年生の時)
横で住職が聞いていました「それはな、少し違う角度から物事を考えろ」と言う事だ「分かったか」。
分かったような、分からないような「じゃ辛い事に直面しなければ、いいんだな」(中学2年生の時)
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