帝王学(人を見抜く目をつける)今回、人と付き合う時にはどうやって付き合えばいいのかと質問が多いですが、その質問は非常に難しい質問です。それは書物に書いてある通りに遣れれば良いのですが、相手は人ですから、臨機応変に遣らなければいけないですからね。例えば、この前亡くなったタレントの話をしましょう「安岡力也」氏が渋谷区笹塚に住んでいて、我が家の近くだったので、その為にチョイチョイ近くで合った、昔から知り合いだから良く話をしたり、お茶を飲んだりした。昨年合った時に声を掛けて話をした、その時、安岡さんが杖を付いていて「ナベさんもう駄目だね」と言った、私は「力也さん駄目かい、そう駄目か」と言った、そしたら今年「安岡力也」氏を病院に見舞いに行ったプロダクションの社長が「ナベさん、力也さん駄目だね」と言ったと内田裕也さんとか岩城滉一さんとかが「ナベさんも、駄目だと言っちゃダメだ」と言っていたよ、と聞いた。私は「安岡力也を偲ぶ会」に行き、言いましたよ。内田裕也さん岩城滉一さんに「ナベさんもう駄目だよ」と力也さんが言ったから「力也さん駄目かい 、そう駄目か」と言っただけだと。岩城滉一さんが皆知っていますよ、ただ力也さんは、ナベさんに「力也さん大丈夫だよ、頑張って」と言って貰いたかったみたいですよ。
人との付き合いは、こんなんですよ。貴方は具合が悪くいつもイライラ、ムカムカしている人と仲よくしたいと思いますか、いませんよね。体調悪く不機嫌な人やカリカリしている人の側に行くと、こちらまで体調が悪くなり不愉快な気分になりますよね。人から好かれる人間になる第一条件は、「常に明るく、楽しく、上機嫌でいられること」だと言ってもよいでしょう。ストレスを溜めるもっとも大きな要因は、当然の如く人間関係です。いつもイライラ、ムカムカしてばかりいる人は、「人が悪いのだから、仕方がない」と思い込んでいるのです。ここで、冷静に考えてみて下さい。人のせいでイライラ、ムカムカさせられているのであれば、世の中の全ての人がいつも不機嫌である筈です。しかし、明るく、楽しく、上機嫌に過ごしている人も沢山いるのです。その人と自分の違いは何であるか、分かりますか。健康で明るい人の周りには、良い人ばかりが集まり、自分の周りには、意地悪で嫌な性格の人とか、人から嫌われる性格の人しか集まって来ないように思えるのです。人に腹が立つのは、自分の思い通りにならない時とか、話を聞いて貰えない時です。そして、人の考え方や性格を変えようとして、無駄な「気」やエネルギーや神経を使い果たして、疲れてしまうからです。「嫌な性格の人や意地悪な人のせいで、自分はいつも憂鬱にさせられている」という人は、自ら嫌な人を「気」にしたり相手をしているのです。人を変えようとしては駄目ですよ。好きな人に愛情をもって前向きに話し掛けるならともかく、嫌いな人を自分の思い通りに変えようとするのは、まったく無駄な事です。自分が相手を嫌っているという事は、相手も自分を嫌っている筈です。相手も自分に変わってほしいと思っている事なんです。嫌いな人から変わるよう命令されて、素直に受け入れられるのであるならば。嫌いな人は、どんな所にも居ます。合いたくない人には、必ず合う筈です。私達にできる事は、「その人に合った付き合い方をする」という事だけです。「絶対に自分の意見を譲らない人」には、反論しない事です、まともに相手をしなければ腹も立たないし、気にもならないのです。「愚痴や悪口や批判ばかり言っている人」は、適当にあしらって於けばよいのです。「自慢ばかりする人や我儘な人や意地悪な人」は、調子よく煽てていい気にさせて於けばいいのです。そして何より、付き合う必要のない人とは付き合わない事です。このように、好き嫌いで人を分けるというのは、冷酷な人間に思われるかもしれません。人間としての本当に正しい道は、全ての人に心を開き、許し、誰にも同じように優しく接して、全てを受け入れるという事です。しかし、そんな神様のような人が、いったいどれだけいるのか甚だ疑問です。全ての人と仲よくできればそれが一番いいのですが、そもそも、それほど心の広い人であれば、人間関係に悩んだりしない筈です。殆どの人は、嫌いな人に対して、ただ腹を立て、無用なトラブルを生み、ストレスを溜め込んでいるのです。それで何かが変われば良いのですが、結局、何も変わらず、自分の神経を疲れさせるだけです。それよりは、「嫌いな人の事は気にせず、レベルの低い子供だと思って、話はちゃんと聞いても」右の耳から左の耳に•••通過させれば、毎日が明るく楽しい日々になり、静かな生活が出来るのです。自分と「気」が合わない人がいても、当然の事です。人に傷つけられた時は、自分も同じように人を傷つけていないだろうかと考えてみれば、「気」は収まります。「人が変わるべきだ」と思い込んでいる人は、一生ストレスから解放される事はないと思います。接して来る人が悪かったとしても、やはり自分が変わったほうが良いのです。自分の考え方を変える事は、なかなか出来ないし勇気がいる事ですが、自分を楽にするためだと思えば、決して難しい事ではないのです。そして、嫌いな人は自分自身の問題だと思います。しかし、嫌いな人と無理に向き合う必要はないのです。嫌いな人と付き合うにはタイミングがあります。そのタイミングを決めるには自分自身の感性を信じる事です。今は関わらない方がいいと思う場合はそれが一番いい方法です。自分自身の判断や勘を大事にする事です。必ずそういう時が来ますから。そして「今、私は関わりを持たない」と自分で思うだけで十分です。自分が関わろうとしていない事に気づいているだけで、十分だと思います。それだけで「嫌な人やタイプ的に合わない人」は分かって近づいて来ないのです。我が家の住職曰く「人間は誰でも批判は出来るし、何でも批判をする事が出来る、少し違った角度から見つめて、その人間の良い所を探し、その部分を誉める事がもっと難しい」又「貶す事は容易いが、誉める事は容易では無い」と言われた。最後に住職は「誉める事程難しい事は無い」と言われた。それが出来れば「心の鬼が逃げた」と言う。 |