また一人、先月私の歴史の師匠が亡くなりました、80歳を少し超えていましたが元気でした。6月にお会いし一緒にゴルフをした時、少し何か嫌な(何とも言えない、今までに無い嫌な気分)気持ちになったので、何処か体調が悪いんですかと聞いたら「最近ゴルフをしたりしたら胸が詰まるようになる」と言われたので、病院に行って検査等をされたらどうですかと言って別れた。それから1か月後の7月21日、検査の結果を聞いている先生の前で脳梗塞で倒れ一命は取り留めたが、治る見込みが無いという事なので「家族の皆が同意し延命処置の装置を外し」25日お亡くなりになった。
これはアメリカ(ホノルル)での出来事です。
「簡単に延命処置の装置を外すもんだな。」と関心していました。この方の人生「戦争の時は15歳の少年の話」をお前ならどうする?と言われました。「俺は15歳妹は13歳、戦争が終わり日本に帰れるのは二名、父親と母親は現地に残り、わしと妹の二人を船に乗せてくれた。その時父親から貰ったのは少しばかりのお金と拳銃一丁弾6発、父親に船の出発の前夜外に連れ出され、拳銃の撃ち方を教わった。今でも父親の言葉が頭に残っている。いいか、拳銃を撃つときは相手を殺す時だ。相手に拳銃を持っているという事を悟られるな、引き金を引くときは相手が近くに来てから「頭を撃て」と。」今でもたまに父親の夢をみるとのことです。
日本に着いて世田谷区の叔父さんの家に行く途中で妹をさらわれそうになった、大人3人に囲まれて妹だけを連れて行こうとしたから、わしを抑えている一人に頭目掛けて拳銃を一発撃った。すると二人は逃げ出した。わしも妹と二人で違う方向に逃げた。世田谷区には5日かかって着いた。拳銃の弾は二発しか残っていなかった。「それは同じような事があったという事だった。」何故こんな話をするかというと、その方は私に上記の事があったから「天国に行けるかな」と言っていたからです。
その時に我が家の住職の話をしました。昔お釈迦様の弟子に「木蓮」(もくれん)というお弟子さんがいた。その木蓮のお母さんが良い方ではなかった、「大変な悪女」であった。このお母さんが亡くなり「木蓮がお経を唱えていたら、盂蘭盆(うらぼん)という「地獄に落ちて」逆さずりにされたりしのたうち廻っている有様が眼に写り、そんな母親でも可哀想になりお釈迦様に母親を助けてくれるようにお願いした。お釈迦様はお前一人では助ける事はできない、弟子の皆を集めるように言われた。弟子達の修行は毎年雨季の4月から7月に掛けて行われていた為、修行が終わって皆で集まったのが7月15日であった。「お経を唱え、皆で木蓮の母親の供養をした、皆が供養してくれたお陰で、木蓮の母親はその地獄ともいわれる世界から助け出されたといわれています。」この日を境に亡くなった人の供養をするようになった。日本全国でこの日に供養し「お盆」といわれるようになった。今は「お盆は」8月15日ですが7月には農家の方たちの農作業が忙しい為に、8月になったといわれています。
その方にこんな「悪女でも天国に行くことができたんですよ」と言うと「じゃ俺も天国に行けるな」と笑っていました。私は何故そんなに「天国」に拘るんですかと聞いたら、「おっかあ、おとうが居るから、どうしても会いてえ」との事でした。会ったらな「妹は約束通り守ったからな、と報告しないとな」と言っていました。そういう気持ち「思いやり」があれば必ず「天国」に行ったはず、また必ず行けると思います。「お盆」にご先祖様や親族や知り合いの方が亡くなっていると「お盆」を境に亡くなる方が多いといわれています。呼び込まれないように日頃から体には気をつけましょう。又必ず「お盆」にはお墓参りに行くようにしましょう。
これがご先祖様に対する「思いやり」です。