心(相手を思いやる)

 以前「心」の事についてこのホームページに書きました、最近「がない」とメールを頂きました。うちの子は全く思いやりがないし、自分の事しか考えていないです。その子供達が今必要としているのが何かお父さん、お母さんは分からない。外傷的なことは見えるが「心の」怪我や「脳の」怪我は見えない。体の怪我で外に遊びに行かないなら分かるが、「心の」怪我で外に遊びに行かないと言う子供をどの様に親は扱うか、先ずは「テレビゲーム」をやらせている親が多い。そうすると子供は一時元気になる、その子供は「心の痛み、怪我」を忘れる。しかしその子供の見えない怪我は少しずつ痛み、最後は「心が」痛んでくる。一番大切なのは人間として生まれ「何も無い」時から食べ方、飲み方、歩き方、話し方、色々な人と居る事を教える事であります。それは人との接し方の能力を身に付けるという事です。小さい時にそうやって知らず知らずの内に人としての、「土台」を身に付けるのです。
「テレビゲーム」を与える事は、その大切な時期に親は子供を仲間はずれにしてしまいます、これは「いじめ」「虐待」であります、大人になって「いじめ」をされるのと訳が違います。
人として生まれ一番大切で一番大事な時期にその「土台」を作る所で、親から「土台」を作らせてもらえない。
 親は子供から見れば大切な人生の「土台」を作ってくれる「先生」であります。
その「先生」が「テレビゲーム」をさせる事は私達から見れば「」であります。本来は「神様」にならなければいけないに。

子供達は皆知っていますよ、「
親から愛されていなかったと」それが大学生活で分かるのです。でも大学生活で分かればまだ取り返しがつきます、大学でその「土台」「基礎」と成るべき授業を行っていますから。しっかり勉強して社会で頑張って貰いたいものです。この文章を頭に入れて、本を読む(子育ての本、自分に欠けたモノ、色々あります)先ずは親御さんから勉強するべきです、色々な所で講演等をしていますから、先ずは素直になって下さい「恥ずかしがる事はないのです」我が家の住職は「分からない時は、はっきり分からないと言う事」との教えです。又「自分が分からないのは、此処にいる皆が分からないと思い、代表で聞いてみる」そのような考えを持って人生を全うすれば、周りの人間から必ず必要とされ、慕われるだろうと教えられました。ここで一番大切な事は、いつも身近で接している「母親の対応」であります。その母親がどのような態度をするかを子供達は見ているのです。「オロオロしていないか、尻込みしていないか、見て見ない振りをしていないか、子供達の所に近づかない、子供達をほったらかしにしていないか」をちゃんと見ているのです、たとえ母親であっても「怒る時は怒る」という所を、日頃から子供達に分からせておく事が大切であります。我が住職は「自分の意志で、何事も止められる人間になれ、涙を止められる女になれ」と教えてました。又父親は「ちゃんと叱ってくれるか、遊んでくれるか、少しの時間でも話し相手になってくれるか、常に怖い存在でいるか」等を子供達は見ているのです。良いですか、怖いだけではいけないのですよ、常に強く優しい父親でなくてはいけません。小さいからといって「あなどってはいけない」のです、子供の前では決して人の「批判等や悪口」は言ってはいけないと知るべきです。常に「物事は誉める事が仕合わせを齎す」と住職は言っていました。一番大切な事は、ちゃんと「向き合う」という事だとの教えです。今の親御さんは周りに頼る事ばかりを考えて「心を」忘れている、忘れているというよりは「知らない」のです。よく考えてみれば、全て携帯電話で話、インターネットで話、顔を向き合わして話す場面がないのです。食卓を必ず一緒に囲む事などないし、一週間に何度父親と顔を会わすだろう、時代の流れで環境がそうなっているのだと思われます。要は先進国の成れの果てともいうのでしょうか。住職はこんな事を言いました「若い時は二人で手を繋いで歩くと楽しい」でも年を経過して手をとって一緒に歩くと「介護が」必要になったかと世間は言うと。それと同じで人は成長すると相手の顔を見たりしなくなる、況してや親兄弟など以ての外である。それは「甘えがある」からで、他人なら「とんでもない」事です。このホームページをご覧の我々だけでも「皆で向き合って」残された人生を助け合いましょう。