リーダーシップ(嫌な顔をしていると)

 人生を生きていく上で、必ず誰もが体験するのがクレーム(文句を言われる、注意をされる)です。誰でもクレームを付けられた事が一度や二度はあると思います。その時、どうしましたか?「素直に謝りましたか、それとも相手に対し文句を言い返しましたか?」そんな事言える訳ありませんよね。クレームの後一時間位は落ち込んだり頭にきたりしていますが、何かの切っ掛けで忘れてしまいますよね、それは自分の脳が「嫌な事を忘れようとしている、その出来事から逃げ出そうとしている」のです。その為に脳の記憶から消そう消そうとしているのです。あまり嫌な事は覚えていないのです。又覚えていても「あの時は、こうこうで頭にきた」と言う事ぐらいしか覚えていないのですよ、良い事はいつまで経っても覚えているものなんですがね。それから失敗クレームは違うんですよ、良く聞くのが「ああ、今日は失敗したな、クレームが大変だ」と言う言葉。何が違うか、失敗とは「人は失敗して、その失敗を次の一歩に繋げていくのだが、その一歩から逃げ出だそうと、失敗してしまったと他人に対して言う事は出来たり、笑って誤摩化したりもできる。クレームは、笑ったりするだけで、相手からもっと強烈なクレームを発せられる。対応一つで、全く違った展開になってしまうのだ。失敗は笑い飛ばして、次に同じような失敗をしない対策を講じれば良いのだが、クレームはそういう訳にはいかない。相手が変われば又同じようなクレームがつく可能性がある。

 一つ例に出してみよう「昔、営業していた、石庭という日本料理屋さんがあった、その石庭に食事に行くと、あっちこっちでお茶碗やらコップやらグラスの割れる音がする、何だろうなと思い聞いていると、あちらの世界(
893さん)の方が「こんな料理よく出したな、不味くて食えない、造り直せ」と聞こえて来た。私も前々から、少し不味いなとは思っていたが、あそこまでは出来ない。それはあちらの世界(893さん)の方だからできるのであって、普通の人は中々出来ない。何ヶ月かして石庭に行くと「ガシャン」とまた聞こえて来た。同じ事が行なわれていたのです。帰り際にマネージャーに一言言いました。値段は高くても良いから「いいモノ出さないから」ですよと。又何ヶ月かして石庭に行ったら、それは素晴らしい料理を出しました。少し値段は上がりましたが、美味しかったです。あちらの世界(893さん)の注文に応えているうちに、料理の味、品の質、ご飯の炊き方等が一流になったのです。あちらの世界(893さん)が料理の腕を磨く、世間は不思議な連環が形成されているな、と感じました。人間は失敗してその失敗を補う事は難しい、その失敗を見事にやり遂げる事が出来れば全ての事象をやり熟す事は簡単になるのだ。失敗したら、次回はその失敗を二度としないように努力すればいいのです。だが、クレームは違う、クレームはお客様のニーズに応えなければならない。それはモノではなく、全て対話、対応である。人と人の話であるからより難しい。日本の企業は何でもマニュアルをつくってそのマニュアルどおりにやろうとする、社員教育もマニュアルどおりに行なうようだ。クレームはマニュアルどおりにはいかない、それはお客様に通じる対話、対応をする術をわきまえてこそ納得されるのである。クレームを言われたら、「ありがとう」と感謝し、自分自身を磨き、又成長させる事と考えて、一つ一つ勉強する事である。それがリーダーへの近道である。クレームを言われたら、何故「ありがとう」というか分かりますか?、それは自分の分からない事を、自分の出来ない事を教えてくれるからです。決して笑ったり、にやけたりしないようにしてちゃんと対応するようにしましょう。失敗とは、何かをやって、自分の満足のいかない所で止めるから失敗であり、自分の満足がいき、納得いくまでやりとげ最後は周りの人達から拍手を貰ったり、おめの言葉を貰って、やった事は失敗ではなかったと確信する。ようは成功したのである。世の中に取り返しがつかない失敗など無いと言う事だどんな人間でも人前で話したり講演したりすると、緊張という魔物に出くわす。この魔物はいくら追っ払っても離れないし、出て行かない。ようは如何するか、己自身を自己暗示に掛けて(自分自身を褒め上げる事が一番良い)失敗はしないと、自分自身に言い聞かせる。(旨く喋ろうとすると、失敗し、普通に喋ろうと思い、喋ると成功する)自分を演じる。女優さんや俳優さんが役を貰い、観客の前で芝居をしたり、大きな会場で司会をしたりするのは、貰った役を演じるから出来るのです。それでもプロの役者さんは緊張するのです。我々素人は緊張するのは当たり前なのです、況してや失敗なぞは日常的に行なわれているのです。その失敗を恐れずに素直に事を行なえば、必ず納得のいくモノになると思います。我が住職の言葉、「素直に事を行なえば、必ずの満足のいく事象がくるであろう、それはを恐れるのではなく、自身を恐れる事だ」と言われた。