リーダーシップI(願いは皆同じである)

成る程ね、その為の宗教法人「深尾會」なのかと思い、日々思案中です。

高知の我が墓は広いから、皆さん来れば良いと考えている、だけど、次の代が墓をお守りしてくれるのか、疑問であるが、それには・・・を付けてお守りさせる以外ないかもしれない。

代々、位牌の中に「金子・きんす」が入っていた様に、継ぐ人間に対し昔の人は位牌に・・・を入れたんでしょうね。

そうでもしないと、昔から位牌をお守りする人間がいるけどやらないのか、やる人間がいないのかでしょうね。

代々、位牌をお守りするという事は、大変な事で大切だし必要な事だったんでしょうね。

何故、高知の住職は「台湾」に疎開したか話をしないといけないですね、それは先先代が台湾に行き日本の教育を台湾の皆さんにされたんですその時に台湾の先住民から「大層」気に入られ、それから日本〜台湾と行き来があったと言います。(高知県土佐市の海岸に台湾の船が漂流してきたんです)調度明治になる時であり、武士道を次の世代にと「台湾」で教育したんだと言います。

その台湾の原住民から招待であっといいます、その「原住民・高砂族」で、日本の武士道を代々伝えてくれた民族だといいます。

高知から何千人もの人達が住職を頼って集まり、一つの村が出来たといいます。

戦争には、この原住民が「我々は、日本人であり、天皇陛下を崇拝」しているので有る、と言われ、日本人と同じく戦争に参加されたと、言われています。

その戦争では先頭に立ち日本人を優位に導きながら、相手側に相当なダメージを与えたと聞き及びます、又自ら危険任務につき、日本兵を安全な方法で戦わせたといいます。

一番大変な任務は物資の調達であり、その調達係をかって出たと聞きます、「高砂族」は自分達は食料を食べないで少しでも多くの食べ物を日本兵に与えたと聞きます。

私達と違うモノを持ち合わせていたのです、この高砂族の原住民は夜は目が見え、昼は遠くまでの音を聞く事ができる、又遠くでも匂いを嗅いで敵なのか味方なのかを見分ける才能を持っていたのです。

我が家の言い伝えで、我々祖先がこの「高砂族」を教育し、その原住民の才能を引き出し「日本の『忍者』の如く」教育をしたと、言います。

又原住民が亡くなれば我が住職が先先代からよく拝み「魂が天に上る」ようにしてあげたと聞きます。

原住民の代が変われど、言い伝えは未来永劫に伝わっていったのです。

私が小さい頃、家の住職はいつも言っていました、台湾に行きたいな〜とね。

戦後は我がお寺は貧しかったですからね、それどころではなかったのでしょうね。

子供を6人も育てたんですからね、大変だったと思います、住職と母親には本当に感謝しています。

それは自分が親になれば、如何に大変か分かりますからね、本当に大変でしたから。

私が稼ぐだけ稼いで高知に「都落ち」した時に、住職に寄付して好きな様に使えばと、言いましたら、住職は「台湾」に行ったと、聞きました、それは日本の為に戦い亡くなった「先住民・高砂族」の弔いをされに行ったと聞きます。

それは、我が祖先の教育に於いて「先住民・高砂族」を、死においやった事を思い「心から上天に昇 る」ように、お参りをしたと、聞きました。

台湾には「先住民・高砂族」の末裔がいまでも住んで生活をしていると、住職は言います。

でも、なかなか会う事は難しいと、言います。

今の世界とはかけ離れた生活をしているからだと、言います。

でも、もう100年以上経ちますから、どうですかね、家の住職が生きていれば「台湾」に行きますが。

もう住職も亡くなり母親も亡くなり、そんな話を知っている人間は誰もいなくなってしまいました。

家の家族は私以外は興味がないですから、住職が言っていたよ、と言っても「あ、そう」と、言います、私は台湾に5回程行きましたが、まだ先住民の方とはお会いしてないですが「そう、かも」と、言われる方々には、お目にかかりました、それは名刺交換した時に、先住民の方の「族のマーク」がついた名刺を頂きました、住職から聞いていたマークでしたから間違いないと思います。

私の顔見て何人かでニタニタしていました、調度相撲の世界大会が台湾で開催された時でした。

私達以上にキチッとした挨拶や、立ち居振る舞いは凄かったです、アレッと感じましたから。