リーダーシップG

前回から読んでいないと何だか分からないですよね、写真出版社ですよ、末裔は「写真家」でした、黙って色々聞きましたら、今は何にも残っていないみたいです、その方の祖父にあたるみたいでした。

私の出身地を聞いていましたが、一応言いましたよ「高知」ですとね、少し顔が引き攣っていました。

今は代々静岡県に住んでいると話していました。

私も人が悪いから「ず〜と静岡県ですか」と、聞きましたら。

「え、何で」と、いう顔して、私の顔見つめていました。

いえ何でもないですが、ただ、由緒ある家だろうから、聞きましたよと、言ったらホッとした顔した。

 

 

家の住職に深尾の因縁のある末裔の方とお会いになったと、話をしたら、真剣な顔して話し出した。

住職はゆっくり話し始めました、実はな、その御仁の祖父にあたる人間が2人して深尾・本家佐川に来て、本家を脅されたと言う、それは「誰々の命により誰々を○○した」と、大層な話をされたという、その話で「深尾・本家佐川」も、彼ら2人にやられるだろうと感じたと、実際そういう事が行われた時期でもあったと、話をされたと言います。

外には10人以上の配下の人間を待たせ、挙句には荷車を何台も用意して、配下の人間に槍や刀や鉄砲を持たせ、外では今にも中に討ち入りせんとする態勢で待ち構えていたと言われます。

要は強盗に入る態勢であったと、深尾・本家佐川が「金子・きんす・お金」を出さなかったら、○○しにして金品を奪って行っただろうとの話であったと、言います。

「深尾・本家佐川」から住職の家まで早馬を走らせても半日はかかる、住職の手のモノを集め佐川まで急いでも、その間に全て事が済んでいただろうしと、住職は言います。

住職は「幾らだ」と、本家佐川の城主に聞いたら「片手を広げて出した」と、言います。

今更行って話をしたところで知らないと惚けて言うだろうし、色々思案したと言います。

家にある「金子・きんす・お金」を、本家佐川に持たせたと言いました。

その後、山内城主の招きで行事がある時に、家の住職がその2人に忠告したと言います。

「この国の為(土佐)、日の本の為(国)」に、精魂込めて励めと言ったみたいです。

必ず、我が家は「天上」より見ておると言ったら、その2人は住職に対し「必ず」と、言われたと。

この2人の名前分かります、土佐藩から何人も議員になってないですからね、分かりますよね。

深尾・佐川本家で、その2人が城主に対し脅された言葉、その時口走った言葉は「誰々○○を京都で○○した」と、言われたと住職に話された、その事は今でも闇に葬られている。

その事を記載した過去帳を懸命に書き写した方がいたが「テレビ放映」には、何の影響もなかったと、住職は言われます。(竜馬がいくの著書)

その過去帳の一番大事な部分を記載したモノを「県の資料館」に貸したと、住職は言っていたから、資料館の館長と何度も話をして「返せ」と、言っているが、都合の悪い事が記載されているから、公には出来なく、今探しているとの返事である。(平成の時代に2度県の資料館に訪ねて話をした)

その過去帳には誰々が誰々を○○したと、何人の人間がその場所に上がり込み○○したと、事細かく記載した過去帳であると住職は言われる。

もしその事が世間に発表されたら、大変な事になるのは間違いないからである。

その事は、深尾・本家佐川の城主から事細かく聞き記載されたと、城主は2人に脅された時に、2人の話は信用出来ないといい、突き放そうとした時に「確たる証拠だ」と、見せられたのが「○○のピストル」であったと、その時にここまで話したのだから「ただでは帰らぬ」と、殆どの金子・きんすを持って行かれたと言う、もしその時に(金子・きんす・お金)を出さなかったら、間違いなく「やられて・○○されて」いただろうと、住職に話されたと言います。

その脅された時に、2人は「男爵」の位を貰ってやると、深尾・本家佐川に言って帰ったと言います。

成る程ね、深尾・本家佐川は「男爵の身分」に目が眩みお金を出して、騙されたと、思っていたが違うんだね、話は良く聞かないとね。

話終わって住職は、私と目を合わさず、海岸の方に1人歩いて行かれた、辛い事を思い出したんだね。