リーダーシップE子供の時から、住職は「私達子供6人」に対し、家の風水の事や、方位の事や、家の言い伝えの事や、街の歴史の事や、何故我が家が今の土地でお寺(日蓮宗)をやっているのかを、毎日分かる様に教えてくれました、聞いていて楽しかったですよ。
だから家の住職は言っていました「財産は無いが、知能はやる」と、兄姉の皆んなに言っていました。
何故、昔の「名前・深尾家」から渡邉になったか、山内家から流罪を仰せ使った時に、仁淀川から西に行く事になり、その仁淀川を船で渡る時に、船の上で思案しもう2度と「深尾」の性は名乗らないと決めたと聞きます、その船の中で「船で渡る、渡る岸辺に」そこで、渡る辺と考え「今の渡邉」になったと、言います、深尾南家の殿様は最後の侍と言われていましたから性根が座っていたんですね。
高知県には「深尾」を名乗る性は誰もいないんです、ただ私が「深尾會」と宗教法人で使っているだけです。
ついでに、深尾佐川一万石が最後まであったんですが、明治に入り欲の深い考えをするから、当時でいう衆議院議員に多額のお金を出資し騙されたんです、と聞き及びますが、現実はどうか。
それは、衆議院議員になれば「男爵の位を貰ってくれる」と、約束をされ、願いが叶わなかったと言います、が現実は違うのかも。
そこで、家の住職に泣き言を言いに来られ、土佐を離れ関東に行くと言われ、本家佐川の宝物を全て家の住職に預け土佐を出て行って、一度も高知には帰って来ません、今は横浜にて生活しています、住職とはやり取りはありましたが、私達とは疎遠になりました、悲しいですね。
今、私が新宿区新宿の自分の事務所で、代々「深尾家」に伝わる家宝を古物商の免許を頂き商売しています、売ったら兄姉の皆さんに分けますよ。
随分前に、全く知らない白髪の紳士が新宿の事務所に来られ、店に飾ってある宝物をずっと眺めていたんです、たまたま私が事務所に帰って来て、その白髪の紳士に声を掛けたんです。
何か欲しいモノはありますかと、その紳士は「この宝物は、どうされました」と、聞きますから、高知の家から持って来てました、と言いました。
もし如何しても欲しいという方がいればお分けしようと、このお店に出しています、と言いましたら「そうですか、高知からね」と、言われてお帰りになりました。
次の年に又その白髪の紳士がお店の前に来られて、ずっと宝物を見ていました、私は中で書類を書いていましたから黙ってみていました、又前に来た白髪の紳士だなと、思い見ていました。
すると、奥さんらしき方が来られ店の中に入って来ました、直ぐに私は対応しました。
奥さんはこの槍を触らせて貰っていいですかと、言いますから、どうぞと「槍を出し」お見せしました、槍を持つなり「涙が出ていました」その白髪の紳士と槍を持って、マジマジと見つめていました。
奥さんは「この槍を買う事は出来ませんが」触らせて頂き有難う御座いますと、言われました。
白髪の紳士は「女房の祖父が代々持っていた槍で」と、言いますから。
私は聞きました「横浜の叔父さんですか」と、言いましたら。
私の手を取って話し出しました、もうお目にかかる事はないと思っていました、祖父も父親もが「あの槍にもう一度お目に掛かれれば」と、いつも言っていました。
「100年以上もの間大切にして頂いて」と、言われた。
白髪の紳士は何年も何年も、「深尾」という名前でインターネットを検索していて、やっとここに辿り着きましたと、話されました。
祖父が103歳で亡くなり、遺骨を高知の住職にお願いしてくれと言いましたから、高知に伺いましたら、お亡(妙英・住職)くなりになられて、代が変わられていました。
宇佐の家から海岸に行きずっと海を見ていましたと。
本当に綺麗で良い土地で、静かで「心」が落ち着きましたと。 次回に
|