リーダーシップC

前回からの続きです。

その「大黒屋」という屋号は、今でも私が受け継いで会社として登記し活躍しています。

当然墓地にいき墓参りは欠かしません、前に「大熊水産」の社長に言いましたよ、「ちゃんとせんといかんぜよ」と、高知弁で言いましたら、直ぐに車を乗り付け「墓参り」に来ました。

高知の県会議員をされていましたけど、自分の家が誰にお世話になり成功したのか、又繁盛したのか、もう少し勉強するべきであると、墓参りに来たときに話しましたよ。

納得した顔して頷いていました、少しばかりのお包みを頂きましたけどね。(本当に少しばかりの)

「泉」の性を名乗っています、その泉の性の墓が、我が家の墓の隣にあるんです、そのご先祖様の墓を「ちゃんとせんといかんぜよ」と、言ったんです。

そうでしょ、自分の家のご先祖様は、自分達でちゃんと「お守りせんといかんぜよ」と、言われて当たり前でしょ、家の住職は私に「よう言うた」と、言っていました。

 

 

いくら家が会社が繁盛しても、自分達のご先祖様を蔑ろにする様では、先も大した事ではないなと。

家の家督を継いだり、家の財産を継ぐ場合は、増やして当たり前、減らせば半人前と言われているのである、だから家の財産を継ぐということは大変な事なんです、家の家督を継ぐのも大変な事である。

家の兄貴(家長)がいつも言っていた、荷が「重い」と、この意味分かります。

長男の器では、大変な事だと言っていました、要は身分不相応な受け継ぎだと、いつも言っていたが、相当努力していた、だから私が儲かった時に「寄付」したんです、檀家が皆さん少なくなりやっていけないですからね。

次はもうやる人間がいなくなりましたから(高学歴を身に付けると家の家督には振り向きもしない)、家の宝物は新宿のお店で欲しい方にお分けしています、誰でもかんでもにはお分けしないですがね。

又今は海外の方が欲しがりますけど、海外には申し訳ないですが勘弁して欲しいですね。

何故かと言うと、宗教法人は文化庁管轄です、もし文化財なら日本から持ち出せない無いからです。

土佐三豪の一つ「川崎家」も、我が家で亡くなっています、ちょうどお寺でしたから、我がお寺に葬ってくれと言われ、我が寺で「御休み」になられています、我が寺がずっと面倒見ているのです。

川崎家の家督を継いでいる長男、源右衛門・次男坊、幾三郎にも言いました、「ちゃんと墓参りせんと、墓が泣きゆうき」と、高知弁で言いました。

川崎家は代々土佐藩の豪商(唯一高知県の)でした、だから今でも高知に相当な土地を持っています。

家賃収入で今は生活しています、高知の人間は大体のことは知っていますから、この川崎家に融資してくれと、そして商売しようと色々話が来るんです、騙される事が多いんですね。

騙された後、私は知りますからね、知っても何もやってあげないです、自業自得ですからね、持っている財産を高知に還元したほうがいいですから、高知のいい所の土地を殆ど持っています。

戦争が終わり皆さん帰還してきたら、自分の土地に誰だか分からない人間が縄を張って占有していた、その人間に「そこは我が家の土地だけど」と、言うと、懐から拳銃を出し、上に一発発射して威嚇されたという、そこで家の住職に相談され「何とかしてくれと」頼まれたと言われた。

何とか追い出して土地が返ってきたから良かったけど、このような事は「忘れた」か又は知らん顔か。

都合の悪いことは忘れ、都合のいいことはいつまでも覚えている、人として当たり前と言えば当たり前だけど、人に対してもう少し「思いやり」を持たないと・・・。

この川崎家の次男坊・川崎幾三郎・2代目は高知県の「土佐高・中学校の創設者の一人」である、もう一人は「宇田友四郎家」である、明治時代に藩校が出来各藩が廃藩置県になった、大正に入りその時に今でいう「学校」を創設したのです。

その時「土佐中学校」と命名した、そしたらどうなったと思います。

今も昔も同じですよ、人が潤えばやっかみで色々難癖を付けて人を困らせようとする、いつの世も同じです、この2代目幾三郎は色々の事に手を出し、揉め事に追われたと住職は言っていました。

誰が解決したとかは言わないけど、いつの世も同じですね、多分・・・。次回に続く