リーダーシップ(自分を生かすも自分次第)@

先月新宿の事務所に訪ねて来られた方が、事務所に入って座るなり「毎日毎日、日々疲れる」と言われました、その後に「どうすれば、スッキリした日々が過ごせるのか」聞きに来たと、言います。

何故「気分の乗らない日を過ごすんですか」と、聞きましたら。

「え〜」と、いう顔されて、私の顔ずっと見ていました。

本人は仕事は仕事で早く終わらせ、家に帰っていると、少しばかりの晩酌もして、良い家庭を築いて毎日毎日楽しく生活をしている、その様に先生から私生活から変えるように言われたから、言われた通りにしている筈だと言うんです。

でも何かが違うんだと言います、それが何かが分からないと、言うんです。

それは簡単ではないですが、自分が気が付いていないんです、先ずは、自分自身が気づかないとだめですと、言いましたら、「なんで〜」と、いう顔して聞いていました。 私は子供の頃、父親の話を聞きながら、晩御飯を食べていた、その晩ごはんの時間が、毎日毎日楽しい時間でしたと、言いましたら、真顔で聞いていました。

家の風水の事や、方位の事や、家の言い伝えの事や、街の歴史の事や、何故我が家が今の土地でお寺(日蓮宗)をやっているのかを、毎日分かる様に教えてくれました、聞いていて楽しかったですよ。

その一つに家の住職が楽しそうに話してくれた、その楽しそうに話す話を母親と聞いていたんです。

それは、これから生きて行く人生で、必ず必要な事であるし、常に頭の中において生きて行く様にとコンコンと話をしてくれました、その自慢げに話す話し方が面白かった。

又、人間という生き物は限度というモノがないと、常に何処までも追求し儲けようとすると、話されました、それは限度というモノを知るべきだと言うんです。

だから、私は住職の言われた言葉を胆に銘じて「いつか必ず・・・」と考えて人生を全うしていた。

そしたら、住職の言われた通りその時が来たんです、自分自身に「程々と、いわれる位、儲かりました」チャンスを待っていたんです、常にいつか必ずの気持ちを持って、毎日毎日生活をしていました。

聞いている方に長々話して、すみませんと言いましたら、いいから「聞きたい」と、言われますから。

東京である程度お金を稼ぎ、高知に都落ちしたんです、それは儲けるだけ儲けたから出来たんです。

一銭も無くなり高知に帰ったのとは違いますから、多分世間からは嫌な目で見られたでしょうね。

特に高知県は違う風習がある県ですからね、我々のご先祖様が高知に行き、当時の城主「長宗我部一族」を追い出し、そのまま今の高知に根をはって生活して何百年も生きてきましたからね。

何処の藩もそうでしょうが、特に高知という所は少し違うところがあります。

一つに高知県の上場会社を見てみれば分かります、弥勒(ミロク)という、鉄砲を販売している会社です、明治時代まで土佐藩の鉄砲鍛冶職人であったんです、家の(お寺の・日蓮宗)過去帳に記載されていた事は、鉄砲鍛冶職人がどの様にして今後生活するかを相談されたと、記載されていた。

家の先先代の住職は、当時の鉄砲鍛冶職人を集め、今後の身の振りかたを指導したと住職は言う。

丁度、明治の過渡期であった為、内乱や揉め事が絶えず勃発していたと、そこで住職は鉄砲鍛冶職人に対し、今こそ鉄砲鍛冶職人の時代であり、必ずや鉄砲が必要になり生活が安定するから一生懸命努力して励めと「檄を飛ばした」と記載があると、言っていた。

時代は明治・大正・昭和と激動の時代を過ごし、代は変われども鉄砲鍛冶職人は残ったと、言われた。

でも、第二次世界大戦に於いて皆さん亡くなられたと、言われます。

高知県で残ったのは一家だけである、そこでどうして「ミロク」というのかご存知か。

明治時代に入り藩が無くなり、藩校が出来、其処で皆さん勉強したのです、その時、各々が苗字を付けるようになり、其処で家の住職が苗字をつけてあげたと聞きます。

この話をしながら、事務所に来られている人に言いました、人の話はよく聞くこと、そして「いい人」を捨てて自分自身の殻を出し、思ったように進めばスッキリした人生になりますよと、ね。

その為には、何かを犠牲にするんです、それは「手は二つ」人生は「三つの事が必要」何を犠牲にする かです、愛か財か健かです(この内二つです)分かりますか、両手で掴むのはどれとどれですか。

喜んで帰りました、分かったようでした。  (次回に)