リーダーシップ(真実を知る人間が・・・)@

何年も前にこの話をこのホームページに掲載しました。(2017年10月15日に更新情報に)


何故、又今回掲載するか、それは今インターネットに掲載されているのです。
今年の、冬季オリンピック北京2022年が行われましたよね、その競技の中で(カーリング競技)メダルを狙って凄い争いをされていましたよね、皆さん多分応援されていただろうと思います。
そのカーリング競技でロシアと争って勝ったのご存知ですよね、その勝った選手が他の選手と抱き合い、脇目も構わず号泣したシーン覚えていますか。
日本人は、勝っても負けても相手の選手の立場に立ち、思いやりを持って、決して失礼のない様に振る舞いをする事を心がけています。
その事をすっかり忘れて「他の選手と抱き合い、泣き崩れた」そのシーンを見てどう思いましたか。
インターネットのYouTubeが今でも見れますから、見忘れた人は是非見て下さい。
何故、私がその事を取り上げるか、それには今日インターネットに掲載の事が原因です。
同じ年齢の戦争体験者が(北海道・占守(しゅむしゅ)島の戦い)昔、私に話された事と、同じ事が掲載されたからです。
コロナが流行る前に、ハワイに一緒して、奥さんと2人で来られて仲良く遊ばれていました、別府さん(仮名96歳)は今も元気で健在です。
別府さん(仮名96歳)が曰くには「冬季オリンピック北京・カーリング競技」を見たかと、言われます。
私は「見ました」と言いましたら、淡々と話されました。
あの選手(ロシアに勝って、泣きながら他の選手と抱き合った)の爺さんだと思う「確か・・・さん」のお孫さんかと思うけどと、言われた。
何が何でも「ロシアには負けたくない」と、いう態度が有り有りと見えた、それは我々にしか分からない事だと言われた。
それは以下の事が原因していると。
それは77年前に終戦したその日から何日も経っていないのにソ連が攻めてきた、当時19歳の大学生だった、その学生が 北海道・占守(しゅむしゅ)島の戦いに参加した、それは両親や家族を守る為であると、言われます。
千島列島の最北端に位置する占守島だった。日本軍はアリューシャン列島からの米軍の進攻に備え、占守島の要塞化を進めていた。
この時、初めて出会ったのが、戦車第十一連隊の連隊長に新任されて占守島に向かう途中の池田末男大佐だった。池田は明治33(1900)年、愛知県豊橋市の生まれ。陸軍士官学校卒業後、満洲の陸軍戦車学校の校長代理などを歴任し、昭和史に「戦車隊の神様」として名を残す人物である。
小樽に越中屋旅館という宿があるのですが、そこで初めてご挨拶しました。本当に立派な方でしたよ。厳格なところが四分、柔和なところが六分。
『豪傑』という雰囲気もあるのですが、決して厳しいだけの人ではありませんでした。
私のような新米の少年戦車兵にも丁重に応対してくれる、素晴らしい人でした。
食べ物も『皆の分がないなら、俺は食べなくていい』と、言われる方でした。インターネット掲載 別府さん(仮名96歳)も同じ様に池田大佐に言われたと言います、ロシアの事は思い出したくないけど、折角この様にインターネットに掲載されて、思い出したと、涙を流して話されます、隣の奥さんも初めて聞く話だったと言います。
この今回掲載された池田大佐、樋口季一郎(きいちろう)中将の事が日本では全く知られていない、戦争が終わり(終戦)北海道を全て占領して、ソ連にしてしまおうとしたのを、ソ連から北海道を守ったんだ、命を賭けて皆んなを指揮し戦い守り切った、その2人の功績が何故日本人は知らないのか、又、教えないのか、不思議でならないと言います。
以上の事を、別府さん(仮名96歳)は、私に上記の事と同じ事を言われましたからね。

次回に期待して下さい。