リーダーシップ(社会の風習に負けるで無い)@

前回からの続きです、本当に今回も反響が大きいです、有り難い事に多くの皆さんに読んで頂いています。

この女子は本当に「首を長くして、私を待っていてくれたんです」それは、女子の態度や施設の先生の言葉で感じます。

私は「女子に、必ず迎えに来る」と、言いました、それまで、もう少し頑張って「自分のやるべき・勉強」を、やっていなさいと、必要な本や必要なお金は、毎月渡していました。

一生懸命やれば、必ず良い事があるからと、言いましたら、黙って頷いて聞いていました。

 

 

当然、約束通り高校卒業しましたので、女子を迎えに行きました。

高校生になり立派な女子になりました、月に一度は今まで会っていましたけど、今日の女子は本当に素晴らしい女子に見え、施設から卒業です。

これからが大変だと、女子は分かっていますから(私の家には常に遊びに来ていました)。

 

施設の先生や、生徒に見送られてを出ました、皆んな泣いて送ってくれました。

女子は先生方や施設長に最後のお別れを言って、施設の子供達にもお別れを言っていました。

 

「この門は2度と潜りません、いいですか」と、先生方に話していました。

最後に先生方から言われていました「この門を、早く忘れなさい」と、皆んな泣いていました。

 

当然、施設長から言われている事は「勉強して、自分のなりたい仕事を選びなさい、貴女は他の女子とは違うハンディを背負って、人生を過ごす事になるからね」と、言われたと、私に言います。

 

私は女子に言いましたよ「それは、両親がいないから、必ず社会から『差別』される」その為にも「まっ良いか」と思われる、職業につきなさいと、包み隠さず話をして、今は「医者の卵」である。

 

医者の卵の『初手術は、皆んな親が実験台になるのです』女子の実験台は、当然私がなっている、私の顔を見て貰えば分かる通り、左目の上瞼を2回、目の下のクマを取るのを一回、次は右目の上瞼の手術をするのである、女子には「実験台の親が居ないから」周りの人達にはバレない様に、私が親であると話している(手術するにはお金が掛かるんです、社会の人には分からないお金が掛かる)。

 

手術が終わり、家に帰ってお茶を飲んでいると、家で飼っている『ココ』という犬が、近寄って来て普段と違う私を見て、首を傾げていた。

 

丁度、女子が帰って来て「先生、傷口を診せて下さい」と、診て貰って終わると、犬は甘えてきた。

 

女子は「ココは、先生を本当に頼りにしているんですね」と、ポツリ言った。

犬に対して、女子は「私も先生を頼りにしているの、一緒だね」と、話をしているのが聞こえた。

 

何が何でも頼りにされているから、少しでも人並みの生活をさせてあげるべきだと、思った。

 

それは、私がこの家族の人間を、皆んな集まって貰ったからである、私が「声を掛け」好むと好まざるに関係なく、集まって貰い、私の勝手で「次の世代を育成というか、育てている」からである。

 

嫌な事もあるだろうが、不平不満を言わず、皆んなに耐えて貰っている。

 

まだ、皆んなには言っていないけど「ある程度、今の立場が落ち着いたら、次は『大学院』に行って貰う」それは、必ずこの子供達の為になるからである。

学問は学んで損はないと、家の住職の教えである。

 

この女子や青年と、私が知り合わなかったら、多分、何の為に生まれてきたのか、どの様に生きていけば良いか、当然、結婚もできるであろうかと、考えると・・・胸が張り裂けそうになる。

 

何故、結婚もできるであろうかと、思うのか、それは日本は「侍」の国であった為、弱い者を虐げる風習が今でも残っている、早い話が「差別」をする、風習である。

 

「まっ良いか」とは、医者だから親がいなくても「まっ良いか」と、世間の人は言うのです。

弁護士だから「まっ良いか」親がいない、施設で生活して、今は一生懸命勉強して「手に入れた職業」だから「まっ良いか」と、許すのです。

 

よく考えて下さい、人の事なら、そんな馬鹿なと、言うんですが、もし自分の身内や自分の子供の相手が、この施設の出身者なら、本当に心から迎えてあげられますか。

本音と建前ではなく、もし現実に自分の家族がこういう場面に遭遇したら「心から、何も言わず大歓迎」で、迎えてあげられますか。

 

世間は、冷たいですからね、私が知っている世間は、皆さん顔が引き攣って、下を向く人ばかりです。でも医者なら、良いやと、言うのです。

「差別」を、知らず知らずにしますからね。

 

この女子は小さい時に、いつお母さんが会いに来てくれるか、そればかり考えていたと、言います。

施設の先生から「勉強して良い点数を取れば、お母さんが会いに来てくれる」と、言われたから、一生懸命勉強していたと、言っていました。

 

中学生になり学年で一番になり、2年生になり、又学年で一番になって「成績表を持って施設ので、お母さんを待っていた」と、いつまでも、いつまでも、待っていたと、言います。

 

次回に続く