リーダーシップ(周りや人の事など気にするな)

『お前が倒産した事にワシは全く興味は無いが、ここから如何やって「立ち上がるかに興味がある」と』言われた,この言葉。

ある書物の中に同じ意味の言葉を見つけた「一時の屈は万世の伸なり、いずくんぞ傷まん」。

一時的な挫折は、将来に成長する為の源である、挫折など気にする必要はない。

 

どうですか、同じ意味を持つ言葉でしょう。

「一度つまず人間は、次には必ず成功する」一度位の躓きで、クヨクヨするなよ、との言葉です。

自分の周りや親戚や友達や彼女や親や、全ての人間の目線やめを無視しろと、住職は言われたと。

 

お前が実家に帰って来て、家で「ゴロゴロ」していると、お前の親父から聞いたから、言ってやった。

実家に帰ってくる勇気があるならば、まだ将来があるとな、それは周りの目があり世間体というモノがあるから、中々帰ってくる勇気がない。

敢えて帰って来るという事は、お前には「まだ見込み」がある、と住職は言われたそうです。

 

 

冷静になる時期だと感じたら、良く考えろと。

後ろを振り向くでないと、1分先から前の事を考え、設計図を頭に描けと、言われたみたいです。

世間の人はお前に何をしてくれる、仕事をくれるか、お金をくれるか、遊びに連れて行ってくれるか、美味しく高い食事を御馳走してくれるか、何もしてくれない周りの事なぞにするな。

 

自分自身の知り合いでもない人間に気を遣う必要もない、そんな事をしている暇があれば「先の事」

を考えろと、注意を受けたみたいです。

 

住職は怒って言ったそうです「周りの人間の気持ちを察知しなかったからといって」何か不都合でも起きるのか、また周りの人の気持ちを聞いたからといって、いい事が起きる訳でもないだろうと。

 

だったら「気にせず、無視」する事だ。

周りを気にせず生きれれば「人生に」過ごせて気楽な日々を過ごせると、教えられたみたいです。

 

周りの人間は、お前が汚い服を着ていたり、頭はボサボサの髪でいたり、話してる事がチンプンカンプンな事を言ってるからと言って、何か助けてくれるか、ただ「変な奴」だと思われるだけだろう。

 

そこには、人それぞれの「プライド」を持ち合わせているからだと、みっともないとか、恥ずかしいとかを、捨てて人生を歩む事だと。

 

周りの人間は、こんな人間もいるからと、大目に見てくれるようになる、そうなればしめたもので、自分を大きく見せたり、カッコつける事もなくなり、周りや友や親に「気を使う」事もなくなるから、好きなように生きて行く事ができるんだと、教えられたと、言っていました。

 

人生「見栄を張る」事がなくなれば、な人生になると思いませんか。

人と生まれて日々生活をしていて、見栄を張らないで生活は出来ないですね。

朝起きて、顔を洗う、服を着る、靴を履き、食事に行き、何を食べようか考え、食べて帰る時にお金を払い、友と会って話をし、彼女と会って雑談して、家に帰って来る、これ全て何処かで見栄を張っているんです。

 

志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず。

 

自分の目標の実現のためには、死んで自分の遺体が溝や谷間に捨てられてもいいと、覚悟して取り掛かる気持ちが必要だと。

それぐらいの覚悟がなければ、二度目はないと住職は言います。