リーダーシップ(歯を食いしばって・・・)

 

私の実家(高知県・お寺・日蓮宗)に千利休の置物があり、小さい頃より良く見て育ちました。

置物の横に千利休の言葉が書いてあり、いつも見ては目視していました。

   家はもらぬほど

        食事は飢ぬほどにてたる事なり。

家は雨露をしのげる程度、食事は飢えない程度なら、さして問題はない、しかし人というものは、良い家に住み、美味しいモノを食べたいと思うもの、そんな気持ちは誰しもが持つものだ、その気持ち無限大に広がり、自分の周りの仕合わせより、満足できないものになってしまう。

 

物事には全てに於いて適度があり、適度をわきまえ、無いものを欲しがるよりも、現実を見てその現実の仕合わせを感じて人生を全うしよう、との教えです。

何百年も家のお寺に置いてありました置物です、良く見て下さい、何か感じませんか。

だけど、家の住職が言うには千利休は上記の言葉を言うには少し矛盾があるとね。

戦国時代の茶人であり、茶頭として織田信長・豊臣秀吉に仕え、簡素で精神的な深みを追求する、侘茶を大成した人間で、豊臣政権下では側近政治にも深く関わった、大変な勢力を持った。

 

先ずは己が身を忠し、己がお手本となって発した言葉なら分かると言います。

多分「に向けての」言葉ではないかと、言っていました。

 

それはそうでしょう、己は良い家に住み、良いモノを食し、やりたい様に政治に関与し、好き勝手に余生を網羅(そのことに関して、全てのモノを残らず集めて)し、人生を終わった人間の言葉とは思えないと。

リーダーは世間のお手本とならないといけないと、言われています。

千利休が世間から見て「倹約で一生懸命働き、誰からも好かれ」世の中の仲間や弟子や上司の為に行動したら、世の中では勝手な事をしたりする人間達は、いなくなるだろうに。

 

世の中の仲間や弟子や上司の為に望む事があり、言いたい事があるなら、リーダーが先頭に立って行動で示す事が、その人間に対しての思いやりであり、お手本である。

 

住職は、よくよく千利休の事を考えたら、決して真面目な人間ではなかっただろうと、言います。

それは、戦国の時代に沿った生き方をしないと、生きられないと悟ったんだろうと。

堅物な人間と真面目な人間と少し融通のきく真面目な人間なら、利休は少し融通のきく真面目な人間を、演じたんではないだろうかと。

それは、いつの世にもある、何でもかんでも断る人間ではなく、世の為になると考えたら「少し位は袖の下を」貰っても、豊臣政権を利用して、何らかの縁故や買収で世の中を良くしようとしたのではないかと、住職は考えたみたいです。

 

まだ人を教えたり育てたりする責任を負わされていない人間は、基本的に怒る事を知らない。

これを心に留めておくべきだ、千利休は戦国時代の生き方や付き合い方を知っていたから、長く生きられたんだと、弟子に対し茶道の行儀見習いは教える事はできても、人としての生き方や人との付き合い方を、人や弟子に教える事は、できていなかったみたいです。

利休は弟子や人をったりしていないから、次に続く人間が育っていない、悲しいかな悲しいかな。 

怒るという事は大変難しい、と住職は言います。

 

でも、この置物は凄いですよ、目に玉眼が入っていますよ。

 

凄いモノなんでしょうね。(今は新宿御苑の事務所に置いてあります、外を見ていますよ・見に来て下さい) 良い事がありますよ。