賀正・危機管理(リーダーシップとは)

 

 

謹賀新年・明けましておめでとうございます。今年は良い年になりますように願っています。

 

危機管理論を書いている時に、ふと思い出すのがJAL(日本航空株式会社)の当時社長・兼子氏の事です。

 

それは「繁文縟礼(はんぶんじょくれい)は躬化(きゅうか)に如かず(しかず)君仁君義(きみじんきみぎ)なれば、仁義ならざるなし」という吉田松陰の掛け軸を、日向ぼししていた時に読んで、兼子社長を思い出しました。

 

掲載の吉田松陰の写真を見て下さい(譲って欲しいと色々な方が来られますが、申し訳ないです、譲れません)。

この文を「狂夫の言」と言う狂人にたとえている。

当時の長州藩の官僚たちは「松陰ごときが何を言う」か「狂人のたわごと」として、無視するであろうと、分かっていたと、松陰は書いている(高知県の家『お寺』にあった吉田松陰の掛け軸です、お祓いをしてあります)。

 

中国の孔子は「まずは狂人を友としよう」と言っている。分かる者には「狂夫の言」の重要性が分かるはずだと。

この言葉は、細かな規則で人を管理するよりも、リーダーである本人が模範を示す事を、説いているのです。

「リーダーが心ある立派な人間であれば、優れた組織にならないわけはない」と断言している。

余談ですが

松陰が長州藩に対して、藩政改革を訴えたのが、この「狂夫の言」というわけです。

この『狂夫の言』は長州藩主・毛利敬親の目にとまり、これは寅次郎(松陰)の書ではないかと、すぐに松陰の書と見抜いた、敬親はかって松陰の門下生であったと書かれています。

 

寅次郎が言いたい事や心配している事があれば、全て書かせてやり、上程させるのだと。

その言葉が的外れであっても、どんなに過激であっても、それを採用するかどうかを決めるのは、この敬親だと。

 

この「狂人のたわごと」に毛利敬親は注意深く耳を傾けようとしたみたいです。

 

現在風に訳せば「細かなわずらわしい規則を長々と作るより、リーダーが自ら模範となって教えた方が良い」です。

 

私が言いたい事は、当時のJAL(日本航空)社長・兼子氏にこの書を見せてあげたかった、今は故人ですがね。

日本航空(JAL)の破綻の原因は何だと思いますか、上記の事ですよ。

 

些細な事ですが、今までの社員、ほぼ全員が会社を食い物にしたからですかね、例えば「お客様に差し上げる商品を社員が持ち帰っていたのです、JALの社員や元社員の自宅に行くと、必ずJALのロゴマーク入りの商品がある、ボールペンにせよ、メモ用紙・・・」等があるんです。

千葉県の元JALの社員の自宅に行くと、非売品がごっそりあって、帰りに「どうぞ」ですって。

今は皆んなの社員が購入している事は知っていますが、少し前の話です。

 

社員何万人が皆んなして・・・すれば、会社の危機は当たり前です。

それも何十年もの間、皆んなが皆んなして・・・困ったもんですね。

それに便乗して食い物にしたのが、国会議員や警察です。

 

昔ニューヨークからの帰りに、警察官の高橋・某がエコノミーのチケットでJALの機内に入ってきて、家族3人皆がビジネスクラスにアップグレードしたのを目の前にした事があった(JAL本社に行き徹底的に抗議しました)。

 

機内に入れば「パーサー権限で」当時はできたんですね。

 

JALが破綻するのは「私はある人物から聞いて」知っていました。それも社長が決断(破綻と)をすればです。

兼子元社長に質問しましたよ、日本航空(JAL)はいつ破綻するか。 日本航空(JALの株主総会の議事録)に載っていますよ。

1998年の利益供与事件を、みてみれば分かる通り「今でいう反社会的勢力の人間に、日本航空の会社の植木を年間何千万円も」出していたんですよ。

それもちゃんとした植木ではなく「一階の植木に水をやり、二階に持っていき、二階のを三階に持っていき、こんな事をやっていて年間何千万円も」支払っていたんですよ。

 

この事件の後、兼子氏は日本航空の社長になったんです.

散々私は言われました「お前と兼子はグルで」事件をあからさまにしたんだろうと、私に何のメリットがあるのか。

 

私が兼子元社長に言いたいのは「兼子元社長自身の保身で、会社を運営していた」これに尽きるとね。

 

故人の悪口ではないです、本当の事です。兼子元社長は東京大学・経済学部(文U)出身です。

当時の東京大学学長加藤一郎先生に言いたい、これは卒業生として汚点ですね。情けないです。

 

お正月から難しいお話しで申し訳ないです、突然頭に浮かびましたから。次回もこの話しは続きます。