「心優しい」岸壁の母より凄いですよ
私に「拳銃を買ってくれ」と話されたゴルフ仲間がいました。私は直ぐに「良いですよ」と答えたら、笑っていました。
私が新宿で「古物商・大黒屋」「ピストル商会」をやつているの知っていましたから。
その方は「坂本龍馬の拳銃」ではないぞ、と言われた。
私はなんで「拳銃を持ってるんですか」と聞くと、ボソボソと話しはじめました。
俺が誰にも話した事がない話をお前にする「戦争の時は15歳の少年の話を」お前ならどうする、 と言われました。
「俺は15歳、妹は13歳、戦争が終わり中国・満州・長春から日本に船に乗って帰れるのは二名、父親と母親は現地に残り、わしと妹の二人を船に乗せてくれた。その時父親から貰ったのは少しばかりの金と拳銃一丁弾6発、父親に船の出発の前夜、外に連れ出され拳銃
の撃ち方を教わった。親父からは生きていく為に、車の運転と拳銃の打ち方を教わった、勉強なんか教わった事が無い。
今でも父親の言葉が頭にこびり付いて残っている。
いいか、拳銃を撃つ時は相手を殺す時だ、少しでも躊躇(ちゅうちょ・迷ったら)したら自分が死ぬ事だぞ、と親父は言った。
相手に拳銃を持っているという事を悟られるな、引き金を引くときは相手が近くに来てから「頭を撃て」と。
今でもたまに大好きな父親の夢をみるとの事です。
日本に着いて世田谷区の叔父さんの家に行く途中で妹を拐われそうになった、大人3人に囲まれて妹だけを連れて行こうとしたから、わしを抑えている一人に頭目掛けて拳銃を一発撃った、すると二人は逃げ出した。
わしも妹と二人で反対方向に逃げた、世田谷区には横浜から5日かかって着いた。
拳銃の弾は二発しか残っていなかった。「それは同じような事が、あったという事だった」何故こんな話をするかというと、その方は私に上記の事があったから「天国に逝けるかな」と聞いたんです。
真顔で聞いてきましたから「私は焦りました」一呼吸置いて話しました。
私は、我が家の住職の話をしました。
昔お釈迦様の弟子に「木蓮」(もくれん)というお弟子さんがいたと、その木蓮のお母さんが良い方ではなかった「大変な悪女」であったと。
このお母さんが亡くなり「木蓮がお経を唱えていたら、盂蘭盆(うらぼん)という「地獄に落ちて」逆さずりにされたり、のたうち廻っている有様が眼に写った、そんな母親でも可哀想になり、お釈迦様に母親を助けてくれるようにお願いしたと、言われています。
お釈迦様はお前一人では助ける事はできない、弟子の皆を集めるように言われたと。弟子達の修行は毎年雨季の4月から7月に掛けて行われていた為、修行が終わって皆が集まったのが7月15日であったと、言われています。
「お経を唱え、皆で木蓮の母親の供養をした、皆が供養してくれたお陰で、木蓮の母親はその地獄ともいわれる世界から助け出されたといわれています」この日を境に亡くなった人の供養をするようになったみたいです。
日本全国でこの日に供養し「お盆」といわれるようになった。今は「お盆は」8月15日ですが、昔は7月15日に「お盆」が行われていた。
7月には農家の方たちの農作業が忙しい為に、8月になったといわれています。
その方にこんな「悪女でも天国に逝く事ができたんですよ」と言うと。
「じゃ俺も天国に逝けるな」と笑っていました。私は何故そんなに「天国」に拘るんですかと聞いたら、「おっかあ、おとうが居るから、どうしても会いてえ」との事でした。
会ったらな「妹は約束通り守ったからな、と報告しないとな」と言っていました。そういう気持ち「思いやり」があれば必ず「天国」に逝ったはず、また必ず逝けると思います。亡くなって10年近くですがね。
なんでこんな話をするか、2016年12月末に電話がありました、その方ではないですが「拳銃」買ってくれと。
「坂本龍馬」の拳銃なら買いますよと。なかなか見つからないですがね。
今は日本全国の「古物商」の看板を掲げているところは、皆が皆「拳銃」を買い取って良いんですよ、知らなかったでしょう。
何年か前に一年に一回古物商の総会があり、その場所で「生活安全課長」に、皆んなを代表して質問した事があります。
それは「色々な方から拳銃を買い取ったら、警察で買い取ります」とポスターまで用意して言われましたから。
一言聞きました「うちの店に拳銃一丁30万円でと」話が来るけど「30万円」で買い取って警察に持って行くと、ポスターに書いてある「一丁10万円で買い取り」とあるが、それでは「私達は20万円の損です」なら皆さんは買い取りしないですよと、言ってやりました。
生活安全課長は困っていました。
家の住職は「損して得とれ」と言いますが、どうしようかね。取れるかね。
次回は「徳川埋蔵金」に纏わる話しをします、どうして埋蔵金が出ないか。私は「上記の張本人から」聞いています。
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