リーダーシップ(皆が持っているモノではない)

 この前ある青年28歳)と話す機会があった。調度、大学本部の喫茶室で隣り合わせになって話をしたら何やら悩んでいた、何気なく「今は休憩なの」と聞いたら、学部から来ていて課長を待っています、との事でした、そう何かお疲れのようだけど、と言うと「分かりますか?何だか良く分からないんですが、今の仕事が合ってないのかなと、此処んところ思って考えています」との事でした。

 色々話していると、余りにも恵まれた環境で育っている為に「甘えが生じてる」と感じました。一生懸命やるんですが、何か上手くいかないというかスッキリしないんです、との事でした。そこで私は「それで」と言ったら、青年は「え?」と言って私の顔見ていました。もう一度「それから、どうしたの?」と聞いたら、何も言わないで私を見ていました。私は青年に言いました「まさか、今の仕事を辞めようなんて、思ってないだろう?」と言ったら、焦った顔しました。青年に良く聞きなさいと言って話をしました。

 私が君くらいの年に、あるお相撲さんに付いてアルバイトをしていた時期があつた。その時にそのお相撲さんから教えられた事で相撲の言葉に「三年先の稽古」という言葉がある、 それは今、稽古・勉強しているのは三年先の稽古・勉強であり今は身につかなかったり役にたたないけれど、必ず先々には身に付きにたつとの教だと、 だから毎日マイナス思考でいると気分が落ち込んで不思議な強い力を引き出せなくなってしまう。 何時も楽しく明るい生活を心がけないといけないぞと、先ずは挨拶から「大きなで」するようにしなさいと。 人間付き合いで行き詰まったら、相手を「ほめ」ること「ほめ」られて怒る人は居ないと思う「ほめ」られると誰しも嬉しいものです。パワーをもらった(前向きになった)今までやってきた甲斐があった、このように誰しもが嬉しいものです。photo 周囲の人に自分が認められたことで自分の気持ちが満たされたという嬉しさは、何ものにも変えがたいものです。 だけど注意しないといけないのは、同じように「ほめ」ても、相手の受けとめ方次第では「小馬鹿にされたような気持ちに」なったと思われる事もある。 本当の「ほめ」は、相手の事を良くみて、相手の話を良く聞き、心の底から相手の良いところを感じてあげ、相手に対しハッキリと「ほめ」の言葉をいえば誰が聞いても好印象を与えるものだと。相撲の世界もどの世界も同じ、をせず、苦しい稽古を率先してやれ、そうすれば将来自力となり結果として表れるとの教えだよ。相撲の世界の「3年先の稽古」という言葉がここで活用され、目先の勝負に拘らず将来を見据えて稽古をしろ、という意味がここで生きて来るんだよ。目先の勝負はもちろん大事である、目先の勝負に お相撲さんは負け続けたら「3年先」はない。それはそうであるが、将来、関取、さらには大関や横綱 を目指すためには他のライバルより「1のレべル」に達する必要がある。その為には、時として「目先の勝負」を度外視する必要がある。相撲の場合、目先の勝負にこだわると言う事は、土俵上で立ち会いを変化したり、引いたり叩いたりして勝つということである。

  そういう相撲もたまには仕方がないかもしれないが、そうして「をして」勝つことを覚えると、正攻法の相撲が取れなくなる。「将来の大関横綱候補」と言われる力士は結構いるが、なかなかその通りにならない理由はこのあたりにあることが多い。又大関、横綱になれば当然受けて立つのだから、何処からでもかかって来いという姿勢が大切だと思われる。 (先代放駒理事長談)

 また「3年先の稽古」というのは、研究の世界にも当てはまるように思われる。なお、以下で主に対象とするのは博士課程(以下、博士)に進学しようと思っている人、及び現役の博士の学生である。また、議論を単純にするために、文法を研究対象とする場合に限定して話をすると、簡単に楽をして成果を上げるのではなく、敢えて言うなら「回り道をして身につけろ」と言う事です。

 私は前々から言っています、大学を出て直に働くのではなく(親が元気なうちは学校に行くべきだと)若いうちに勉強をして又資格を取っておくように言っています。先き先きにあって困るモノではないからです。

  相撲界の「三年先の稽古」という言葉の通り。力士としての体づくり・自分にあった相撲のや技・怪我に強い体質等は、けして一ヶ月や二ヶ月の特訓などでは作り上げることはできない。それ故にこそ、二年、三年先の自分の姿目標をしっかり頭にたたき込み、そこに到達するために今何をすべきか、そして目標に向かってどのように成長していくか、更にそのための努力をいかに継続するか、ということが問われるのである。

 我が住職が言っていました「お前は石の上に座る事が出来るか、又座った事があるか」と、私は座った事は無いと言いました、住職は「何故座った事が無いか」と、言われた。

私は「石は硬いし痛いから」と、言った。

 住職は「その痛さ硬さを身体に感じさせておけば、一生覚えている」覚えておく事が「辛抱」に繋がるんだと、言っていました。人生は全て「辛抱」か、おいらに出来るかな。(小学6年の時)