運(何でも間違っていたら素直に謝る事)

 

冒頭からすみません、相手に対して「素直に謝る」事は、そんなに難しい事でしょうか。

前にゴルフの「ルール違反」をして、指摘された行為は簡単に謝れる事です、何故なら「しも」やる行為だからです、ただ「素直になれるか、なれないか」の違いです。

 

 

何でもそうです「指摘する人は勇気がいるのです」だから、言われる人よりも「言う人がな思いをして」発言をするのです。

文句を言われる人は気分が悪いでしょう、でも「言う人はもっと気分」が悪いのをご存知でした。

皆んなが気分良く楽しく「プレー・遊びを」する為には、ルールが必要なんです。

そのルールを一人でも守らないと「はみ出して」しまいます。

皆んなが「嫌な思い」をするんです。

それは、その人間の「器量、」何でしょうね、いくら教えてもその人間は「分からない」でしょう。

その人間が代々持ってる(憑いてる)モノが良いモノかどうかです、良いモノが「憑いていれば」良いんですがね。

 

自分が持っている「」に気が付いていない人が多いですからね。日々の何気ない動作でそれが現れているんです、運の育て方を知らないのかもね。

何も無いもの「運・親から貰って憑いている」は育ちませんが、大体の人は「良いモノを」持っているのです、良いモノを育ててあげれば良いんですが、その育て方が難しいんです。

 

じゃどうするか、簡単に言えば「間違った事をすれば、れば」良いんです。

この「謝る」という事は、簡単なようでなかなか難しいんです。

そこには「その人のプライド、見得・見栄」が往々にしてあるからなんです。

 

家の住職がこんな事を話してくれました「見得(みえ)・けんとく」と読み(真理を悟る事・理解し会得する事)と考えれば、仏教の世界では、素直な人間になれると。

 

プライドや見得(みえ)を全て捨てて、素直に人生を全うしろと。

そうすれば、人間誰しも「素直に謝る」事ができる、それも「」から滲み出て、相手に伝わるモノだと。

良いですか決して「口答え」してはいけないです、素直に「心から・謝罪」するんです。

 

口答えする人間は「必ず・しっぺ返し」が来ます、それが間違った事を言われたとしてもです。

その時に「素直に謝れば」間違いなく、言った人は考えるのです「俺は、何か間違えたかな」とね。

その行為こそが「素直な人の」勝利なんです、相手に同じ事を「えさせる行為」をさせたからです。

戦う相手に「塩」を送るのと同じだと、家の住職は言います。

間違えても「大声を出さない」口に出さない事、もし出せば「必ず、報い」を受ける事になります。

アイツはと指した人差し指の下の「三本の指」は己を向いてるから、三倍跳ね返って来ます、我慢が一番。

 

前回このホームページに掲載しました「カンダタ」の事を思い出して下さい。

御釈迦様はある日の朝、極楽を散歩中に蓮池を通して下の地獄を覗き見た。

罪人どもが苦しんでいる中にカンダタ(犍陀多)という男を見つけた。

カンダタは殺人や放火もした泥棒であったが、過去に一度だけ善行を成したことがあった。

それは林で小さな蜘蛛を踏み殺しかけて止め、命を助けたことだ。

それを思い出した御釈迦様は、彼を地獄から救い出してやろうと、一本の蜘蛛の糸をカンダタめがけて下ろした。

暗い地獄で天から垂れて来た蜘蛛の糸を見たカンダタは「この糸を登れば地獄から出られる」と考え、糸につかまって昇り始めた。

ところが途中で疲れてふと下を見下ろすと、数多の罪人達が自分の下から続いてくる。

このままでは重みで糸が切れてしまうと思ったカンダタは、下に向かって「この糸は俺のものだ、下りろ」と喚いた。

 

すると蜘蛛の糸がカンダタの真上の部分で切れ、カンダタは再び地獄の底に堕ちてしまった。

無慈悲に自分だけ助かろうとし、結局元の地獄へ堕ちてしまったカンダタを浅ましく思ったのか、それを見ていた御釈迦様は悲しそうな顔をして蓮池から立ち去ったと、言われています。

 

難しく考えないで下さい、間違ったと思えば、簡単に「挨拶・謝罪」をすれば良いんです、ミエやプライドをかなぐり捨てれば「仕合わせ・金運」に恵まれるのかな。

以上の事を学んだら、どんな事があっても「実行」する事です。

人と言うのは本能的に自分を守るようになっているみたいで、ついつい言い訳がましくなるみたいです。

言い訳や口答えは、見苦しいだけで「周りの人も」聞いていて、気持ちのいいものではないのです。

 

周りの人達を不快にしてしまい、人をざけてしまいます、これこそが「」を遠ざける行為です。

何かトラブルが起きれば「あれこれ言い訳や口答え」をするんではなく「素直にめ」心を込めて丁寧に「謝罪」する事です。

これ以上の「得策」はないのです。

分かりますか。

逆に自分が嫌な目にあったら、人に対して「愚痴や不満」を言ってはいけないと知るべきです。

これを昔から「水にす」というのです、いつまでも「ダラダラ」思い出しているようでは、良い「運」に見放されてしまいます。

水に流す事は「」を上げる事に繋がるのです。