啓発(事の大切さが)
今レスリング協会が色々ありますよね、どこも一緒です、一番はテコンドー協会です、何年も前から私が告発していますが、なかなか取り上げ(内閣府)ないですよ、伊調みたいに有名でないからかな。
ホームページに載せて良いか了解を貰いました、昔から今現在もこんな事が頻繁に行われています。
何年か前までは普通に外科医として勤務していました、以下の事が露骨になったので逃げ出しました。
何日も何日も起きあがれない日々が続いていました、何年か前に気が付いたら海外旅行に行って、たまたま隣に座って「話しかけられた」のが始まりでした、と。
第一声が「どうしたの、この世の終わりみたいな顔」しているよ、と。
その後は食事し「話しもしないで」グッスリ寝たみたいです、確かポーランドに行ってる時かな。
フランクフルトに到着する一時間前に起きて食事して、隣のお嬢さんと少し話しをしたかな。
私達は総勢100人(役員・選手・事務員・通訳)を超える人数で飛行機に乗っていますから、グチャグチャしていますからね、誰と何を喋ったかは余り覚えてないですね。
ただ話しをしたと言うのは覚えています、確かメールアドレスを教えてあげました。
フランクフルトに着いてシエラトンホテルで一泊してメールのチェックをしたら、以下の内容が来ていた。
前の仕事場で性的な発言やセクハラ発言が飛び出すのは日常当たり前で、嫌で嫌でたまらなかった、と。 お化粧をしたりしていると、これから彼氏とデートかと言われる、こんなのはまだいい方です。
夜の勤務に付いていると、男が居ないから暇で夜勤をしているのか、いつになったら結婚するんだとか、セックスする相手はちゃんといるのかと、からかわれる事は日常的です。 私もその時は笑って受け流していたんですが、会うたびに言葉がエスカレートしていきます。
愛想よく受けごたえのいい女の子を演じていたのですが、話が違う方へ違う方へといってしまい、結果的にセクハラがエスカレートしてしまいました、と。 既婚者の同じ仲間からは、仕事が終わり帰ろうとすると、待ち伏せをされ頻繁に誘われるようになったと。
外科の世界では、上司から難しい症例を頂けると期待をして大抵の事は我慢をしていました。
外科医にとっては、教科書では身につかない実技をやらせてもらえるかが勝負ですから、ある程度の事は我慢と思っていました、教えてもらいたかったし、チャンスも与えてほしかった。
そういう「弱い心に・気持ちに」つけ込んで誘ってきたのだと思います、と。
我慢にも限界が有りました、頭の中で「プチット」音がしてテーブルをひっくり返してしまい、それっきり辞めてしまいました。 私には到底無理な勤め先だと思い早々に退職しました。 医師の世界では留学の経験があればあるほど、ステップになるのは当たり前の世界です。
希望の分野や経験を聞かれるのではなく、私生活を頻繁に聞かれ、情けなくなりました。
女性は外科医の世界で一人前に認めて貰うには、まだまだ程遠い世界だなと思い、悲しくなりました。
日が経につれ、職場でも露骨に体を触られるようになり、耐えられないと思って女性上司に相談し、別の研究グループに入れて貰ったんですが。
逃げ出しても必ず同じ事が繰り返されると、大学院の「危機管理」で学びました。
私は当時、傷ついていながらも、『そんなに真剣に・真面目に捉えることではない、指導を受けられなくなる』と自分に言い聞かせ、自分の中で笑い話にして対応していた気がします。
それが耐えられなくなって、全てを捨てて、気がついたら「フランクフルト行きの」飛行機の中でした。
今の世の中(社会)で一番の矛盾点はやりたい事と、やらして貰う事は、違うと思いました。
今は「大学院で危機管理」を教えて貰っていますから、少しは外(マスコミ)に出す様にしていますが。
本当に「大学院」にいって良かったと思っています、それは「一言、喋れ」と言われています。
この「喋れ」と言われる、この言葉は非常に「意味があり・スッキリ」した気持ちにさせてくれます。
何でもない言葉「喋れ」は全ての事に共通しています、他の誰もが言える言葉ではないからです。
他の先生が「喋れ」と言われれば、「えっ」何をですかと、聞き返します。
でもこの先生が「喋れ」と言えば「はい・医療ミス」やりました、と言ってしまいます。
以上のメールが来てお話をさせて頂いていました。
一番に「親御さん」から感謝の意を表した、メールを頂き恐縮しています。
親御さんは本人のやりたい様にやらしていますが、周りが要求する事は違うと言っています。
私は、ただ偶々「大学院にロビー活動」しただけなんですがね、そんなに切羽詰まっているとは思っていませんでした、当たり前の事をしただけなんですが。
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