人は我慢する(悪口を言わない)

 

人は生まれながらにして全てが違う、行動、性格、個性などが違う為、食べ物、着るもの、履くものほとんどのモノが違う、だから世の中には、色々な店が点在して楽しい、宗教も同じく色々な宗派があり考え方によっては面白いと、そう思いませんか。

 

なぜなら人間の生きて行く過程を考えて、全てを見てみれば楽しいですよ、違う角度から見ると面白いかも。

それは、この人とこの人は最初は仲が良かったのに、どこかで喧嘩別れか歯車が狂ったかボタンのかけ間違えか、どちらにしろ別れた事には間違いないと、少し違う視線から考えれば、面白くないですか。

宗教の宗派は大体そう見たいですよ、大きくなりお金が多く集まり「俺が私が」と、個人の力を勘違いし、分裂(一部は独立)をしてしまうのです、上手くいけば良いですがね。又自分の付いていた上司より自分が大きくなったと思い込み、勘違いしてしまい、嫌いになったり仲違いをしてしまうんですね。

 

会社だってそうですよ、みんなで一生懸命やっていて、成功して大きくなったら、「俺の私の」と、勘違いして分裂して、挙げ句は失敗してしまうんです、お互いの力を信じていれば、そんな事はないんでしょうに。

それはどうしてだか分かりますか。

それは「人は、他人に人生を支配(負けたくない)されたくない」という、思いがどこかにあるからなんです。

良く考えて下さい、スタートの時は「必ず成功させてやる」という、強い思いや、願いがあったから、ただがむしゃらに前進のみの仕事をしてきたんです。

でも、いざ成功して見たら周りの事が気にかかり、ああでもない、こうでもないと、見てしまうんです。

其の次に感じる事は、これは「俺が私が作って大きくした」と、自分を過大評価して仲間の悪口を言ってしまうのです。

そうなると、後は簡単ですよね、転げ落ちるように真っ直ぐ・・・。

 

ここで一番大切な事は、仲間や部下の「悪口を言わない」また、そんな暇を作らない事です。

私は、俺は暇がないと周りや仲間に思わせる事です、それは「暇な人間ほど」周りや世間が気にかかるからなんです。                                                       

人はなぜ起業したり一流会社に入ると「がむしゃらに働き成功するか」知っていますか。

人は育つ時期に「競争」「競争心」を知らず知らずの内に、植えつけられて成長しているんです。

あいつには負けないぞと、必ず見返してやるとか、あの野郎とか、このように体に定着しているのです。

じゃいつから「競争心」を植えつけられるのか。

最初は親から「競争心」を植えつけられ、小学校に入った時から学校で植えつけられているのです。

私達は知らず知らずの内にです、運動会や文化祭や学芸会やらです。

人と「競争すると」言う事をです。

動物が生きていく生き方を親が伝授するのと同じです、小さい時からの教育ですね。

競争しないと社会では生きていけないんだと、親や先生から教えられているからなんですね。

言い方は良いですが、最初は「親の見栄から」スタートして、学校に行ったら「先生やクラス」の見栄(うちのクラスは・・・)で、高学年になると、学校の見栄(学校の成績を上げる)ですからね。

 

大人になるに従って徐々に徐々に「競争心」が芽生えて来るんです、彼奴(あいつ)にだけは「負けたくない」と思った事ないですか。ありますよね。動物の世界でも「弱肉強食」で常に戦っていますよね。

いつも言いますよね「悪口を言わない事」言えば、必ず自分に三倍しっぺ返しが来ますから、難しいですがね。

でも悪口を言うから世の中楽しいと言う方がいますが、相手にその悪口が聞こえたら大変なことになりますからね。

その悪口で人生を棒に振る事にもなるのです。悪口を言いたくなったら「海外に行く」ストレス解消する事です。