心に決めたら(後悔の無いように)前回からの続きで(思うままに)、住職の言うには「戦争当時、ユダヤ人に日本行きのピザを大量に発給した、杉原氏は」今迄の大使としての人生は、日本国にピザを発給させられていたからやっていたと。
考えに考え「お寺の本堂」に籠り、耳を澄ましていたら、何やら聞こえてきたと。
自分自身の考えで「人生をかけて行動しろと」声が聞こえたと、いうふうに言われています。
この時から「自分の考えで、ピザを発給させてもらう」と、ユダヤ人に対し多くのピザを発給し続けたと。
ここまでは皆さん当然の如くご存知ですよね、ここから後の事が皆さん知らされていない事です。
大切な事は「やらされてやるのではなく、自分自身の考えでやる」という事です。
見返りなど期待せずにね。
でも見ている人間や感じている人間(何処かで誰かが)がいるんですね。
戦後北海道にロシアが上陸しようとしたのを「徹底的に攻撃して」負かした人をご存知ですか。
占守島の戦い(しゅむしゅとうのたたかい)は、太平洋戦争終戦後(終戦準備・ 戦闘停止 期間中)
池田 末男(いけだ すえお、1900年12月21日 - 1945年8月18日)は、 最終階級は少将でしたが、少将では
なく大将にすべきだと住職は言います、それだけの仕事をされたんですと。
占守島の終戦後の戦いで池田氏は戦死されました。
その方が(インターネットに載っています、一人はその場で戦死と)
ここの所はインターネットに載っていないですが。
杉原さんが助けた「ユダヤ人」です、当時のアメリカを動かして、ロシアの上陸を阻止した、下士官・他
ユダヤ人は今でも「日本人から、日本から」お金を儲けないとの言い伝えみたいです。
余談ですが、今のアメリカを見てみれば、テレビ局や新聞社は「ユダヤ人がオーナー」です。
世界の大富豪は殆んどが「ユダヤ人」です、皆さん知っていましたか。ユダヤ人は結束が固いのですね。
随分前に、知り合いの娘さんが、ハワイで素敵な男性とお付き合いをしていた、娘さんが結婚をと考えた時、その素敵な男性は「ユダヤ人」だと自分で言ったみたいです、親に紹介され結婚はできないと彼女に話された。
彼女は泣く泣く日本に帰って来て、親に話されたら。
当然親は怒りますよね、お父さんが私に一緒に言って下さいと行って来られた。
娘さんと三人でハワイに行き、向こうの親御さんと一緒に会った。
ユダヤ人のお父さんは丁寧に私達に話をされました。
ユダヤ人は「ユダヤで無い人間の血を混ぜると、不幸になり、子孫が途絶える」と話をされた、我が息子に
帰る時に、ユダヤ人のお父さんとお母さんが送りに来られた、娘さんに対し「贈り物」を挙げた。
三人は日本に清々しい気持ちで帰って来た、何日かして「贈り物」を見たらそれは凄いモノだと。
もう時効ですからね。
日本で家が一軒建ったみたいです。私もお礼を頂きました。現在も別れる時は、今も昔も同じです。
挙げるモノ挙げれば黙るのにね。
ユダヤ人はユダヤ人としか結婚しないのかね、今はそんな事は無いだろうに、何十年も前の話ですからね。
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