啓発(いつからこんな話になった)1
ハワイ在住の故・徳さんが話してくれました。日本に帰って直ぐに、車の運転のできる人間を探していると、横浜の叔父さんから話がきたと言います。東京で荷物を運んでくれたら$80払うと、いうんで喜んで行ったと、言っていました。
朝の5時に日比谷公園に行って、身分証明書を見せるだけだと思っていたら「そのまま預かる」と言われて証明書を取られたみたいです。
証明書と交換に「車の鍵」を貰って車に乗り込み「連いて来い」と言われ最後尾でついて行ったと。
総勢16名が車を連ねて延々と走った、途中「トイレ」に行くために止まって「用たして」スタートしたら、前の車とはぐれてしまった。
慌てて追っかけたが夜でもあり追いつけなかったみたい、夜中の一本道で行けども行けども暗闇で途方にくれたと言っていました。
朝になるまで待つ事にして、空き家に入って車を止めて寝ていたと、すると車の音と男達の話し声で目が覚め外に出ると、何やら変な話をしていた、木陰で聞いていたら「一台車が無いと」誰かが叫んでいた、わしの話やった、慌てたで。
じっと隠れていた、すると今まで一緒に行った連中が誰もいない、どうした事か聞いていると「全員ちゃんと始末したか」と大きな声で叫んでいた、のが聞こえた。
わしは焦った「やられる」と思い、そのまま逃げて帰った、どうやって横浜まで帰ったか、全く覚えていない。
あれは「山梨県・・・昭和20年12月末」やったと覚えている。
横浜に帰って車の荷台を見たら「何やら色々入っていた(時計やら指輪やらネックレスやらダイヤモンドやら色々)」叔父さんに相談したら、直ぐに逃げろと言われ、トラックを処分して逃げた。
全ての品を隠して、横須賀・立川の米軍基地に行き、時計、指輪、ダイヤモンドを処分して、米ドルに替え韓国に逃げ帰ったと、言っていました。
2年間韓国で隠れて生活していたら、韓国に追っ手が来て、寝ている所を襲われたと、拳銃で2発打たれ、腹と腕に当たったと「腹の横を貫通、腕も貫通」している傷を見せて貰った。
日本に逃げて帰り「今後の人生どうすべきか」考えたみたいです。どうしたと思いますか?
名前は「徳・893」在日韓国人です。私が知り合った時は完全に足を洗って、ハワイで悠々自適の生活をしていました。
そうでもしないとあの時代は生きていけなかったんでしょうね、同じ世界にならないと・(やられて)いたみたいです。
今回の本題は「徳川の埋蔵金」の話です。だいたい分かるでしょう。
山梨県の山の山中に隠したのは「東京の人達から集めた、貴金属やら」です、どうして集めたか。
当時の軍が「皆さん貴金属を出して下さい、GHQに渡しましょう」と集めたんです。その記録があります。
それが途中で「軍部や役人」が居なくなり、貴金属やらが宙に浮いたんですね。
それに目をつけた人物が二人いたんです「名前を書くと」・・・です、この二人から「口止め料ではないですが、財産の相続の不動産・動産鑑定依頼」を受けました、
一人の方からは「裕次郎灯台の真ん前の別荘地」の不動産の鑑定です、その他諸々の不動産・動産の鑑定でした。
もう一人の方は本妻にお子さんがいなく、外に一人男の子(TAROU)がいました。
外の方とは色々仲良くさせて頂きました。(このホームページに・過去に・やんわりと書いています)
外の方と男の子は、今はもう二人とも亡く(拳銃で撃たれ)なっています。これ以上は書けません。(次回に)
「徳川埋蔵金」の話をよく考えてみて下さい。
徳川幕府は「お金が無いのですよ」何処にお金があると思います。もし有ったとしても、みんな盗られて無いですよ。
何故か今も昔も一緒です、隠した連中がみんな盗みますよね。そうでしよう。
其れらしきモノは残って居ます(昔の書物に)「徳川は8代将軍吉宗」まで、全くお金が無いんです。
吉宗が相当な改革をして立て直し、やっとこさ次の代に渡せた、そんな徳川幕府にあると思いますか。
その埋蔵金伝説又M資金の話こそ、上記の山中に隠した「東京の貴金属・何百億円」だと言っていました。
信じますか、難しいですね、話は合いますからね、私は・・・て書いてます。
次回に又書きますね。外の方の話しです。名前・小女姫をインターネットで検索すると全てが出ます。(怖いですね)
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