正月(体調を整える)日本のお正月といえばコマ回し凧上げ、羽子板です。どこの家でも見かけるのが、門松やしめ縄、鏡餅。伝統的なお正月飾りといえば門松、しめ縄、鏡餅が新年に仕合わせを呼び込み、年神様を招き入れるための決まり事なんです。そのため門松は字のごとく門からお入り下さいとの意味です。しめ縄というのは年神様にこちらにお入り下さいという、お知らせをする目印という意味なんです。さらに松というのは「待つ」と言って、「年神様」を待っていますという意味です。しっかりとお正月飾りの準備をして皆さんの所に仕合わせが来ますようにしたいですね。一年のねんは(稔)みのりの意味です。月は「満月」から次の「満月」迄の意味です、「正」は基準になるという意味で、「お正月」とは一年の始まりの「月」を意味します。「お正月」に何故「おめでとう」と言うのか、「年神様」(としがみさま)が家々に訪れて、鏡餅に宿り祝福して下さる事について「愛(め)でたい、賞(め)でたい」と言う意味です。鏡餅は何処にお供えするか、「年神様」が宿り、新しい年を生き抜く力を与えて下さる場所、「大切な場所」は和風の家では床の間、神棚です。床の間や神棚が無い家は応接間のテーブルの上、玄間、台所、風呂場、トイレ等に飾りましょう。余り豪華な鏡餅は必要ありません。もし身内に不幸があっても「鏡餅」はお供えします。外に向かって行う「年賀状」や「お祝い事」は慎みます。新しい年の「パワー」「気」「運」「生命力」を戴くという一年の区切り「家」の祝いごとですので、喪中に関係なく毎年お迎えします。鏡開きはいつかご存知ですか?鏡開きは通常1月11日に行います。お供えした「鏡餅」を戴いて、新しい年を(しあわせ)で、無病息災(健康)に一年を過ごそうというのが主旨です。地域によっては1月4日7日15日20日の所もあります、早く戴くのは一向に構いません、鏡餅と七草を食べて一年を健康に過ごして貰いたいと思います。上記にも書いてある通り、西に白いモノを置くと良いと書いてあります、それは金運に良いのです。皆さんが必ず発する言葉「ツイているのか、ツイていないのか」とか「今年はツイて貰いたい、昨年はツイて無かった」とか「全然ツカない、ちょっとはツケよ」とか、言った事ありますよね。そういう時は、人間皆落ち込んでいる時とか、何をやっても自分の思い通りにいかない時に「ツイてない」と発するのです。全て自分の思い通りに行っている時「何も考えないでしょ、考える余裕」が無いのです、其の事について一生懸命打ち込んでいますから。ツクとは「運」が「幸運」が自分の思い通りに「味方する」事をいうのです。じゃあどうすれば「運」がツクのか、自分は「運」が良い人間だよと「認め」自分自身が「納得」する事です、そうすれば「必ず、現実」がそのようになるのです。風水では「思い」や「行為」を「如何に、どうやって」運んだかで、あなたの周りに漂うエネルギーを「いい気分」をつくり出します、あなたの周りを漂うモノが「良い運」なのです。前にも言いましたように、「運」は変える事が出来るのです、それはあなた次第です。だから「良い運」を引き寄せて下さい。良い正月を迎え「今年はツイていた」と言って戴ける事が、私達は一番嬉しいのです。私達は「お手伝い」をしているだけですからね。 今年は午年で、我が住職の言葉、今年は午(うまく全てがいく)の年の一年になる事を祈願して挙げろ、であります。その為にも以上の事をやりましょう、門松のお決まりごとは。
きちんとしたお正月用門松は実はその造りにも意味が込められているのです。今では見栄えが優先されて関係がないものまであるのできちんとしたお正月飾りを把握しましょう。正式な正月の門松は
松を中心にすえ3本又は5本、7本の葉つきの竹を添え、すそに松の割り薪を並べ荒縄で3カ所を三巻き、五巻き、七巻きと節目を見せて七五三に結んだ形が正式です。お正月飾りの門松の設置する期間は暦の上で決まっています。
1月1日は大正月として飾っているのはもちろんの事ですが1月1日〜7日までは松の内(待つの内)と呼ばれ、神様まだ待っていますよという意味の期間です。そして1月15日というのが本来の正月で小正月と呼ばれる日です。
地域では色んな行事がこの日に行われているのです。そして門松の処分などはこの日(1月15日)に神社やお寺の境内でお正月飾りを焼く行事「どんと焼き」が行われているのでお近くの神社、お寺に持って行って下さい。門松を設置し始めて、止めておく日があります。お正月飾りとして飾るときには12月10日の松始めからというのが習わしですが、これらを分からずに設置してしまう人もいるのです、できればこの日は避けた方が良いのは、12月29日(苦松)二十九日、二重苦(にじゅうく)と呼ばれるからです。家の住職が言っていました、九(苦しい)の後は十(とうとう来たか仕合わせが)であるから九(苦を乗り切れと)それが、朝日が登るであると。良い事があるから心配するなと、いつも言っていました。
|