心の底から「言えますか」今回のこの文章は当たり前の事が書いてありますが、その当たり前の事に皆さんは気が付いていないから、敢えて載せさせて頂きました、一つにロンドンオリンピック(テコンドー競技)で惜しくも4位(銅メダルを逃した)だった選手と会って話をしましたら、全く分かっていない、何故かと言うと18歳の女の子だからでは済まされないのです、この子の周りが駄目なんです、一つに親が全くなってない、この女の子はもう自分の子供であって自分の子供ではないと知るべきなのです、今後日本の「テコンドー界を背負っていく」子なんだと、大きく言えば「日本のスポーツ界」を背負っていくと知るべきです、その為には、国のお金がこの子に「投入されるのです」今迄も「投入」されたのです。専属コーチやトレーナーや心理学者やアドバイザーなどです。又選手生活が終わった後は、日本の「テコンドー界」の為に未来の選手を育てていくのが、この子の使命なのです。それが全く分かっていない、目先の損得(企業から給料もらい満足している)にとらわれている。我が大学の学祖曰く「立志尚特異」日本大学•山田顕義先生(人とは異なる高い志を立てよ)との教えであります、この女の子は高い志を持って、又周りがもたせて、先ずは「大学にいかせる事」それがこの女の子を大きく成長させる事と知るべきです。それは佐賀県の為にもなり「日本」の為にもなるのです。良いですか、我々の国民の「税金」がこれからこの女の子に「投入」されるのですよ、決してテコンドーを止めたら、佐賀県で「農業」するとは言わない事。我々の「税金」が無駄になりますから、我々国民の「期待を裏切らない」ようにして下さいね。
以下の事を良く頭に入れて「感謝」する事です。
ありがとうの三つの意味【ありがとう階級】
【ありがとう階級】
誰かに何かやってもらう時、ありがとうと言うのが初級
嫌なこと、くるしい時、病気さえも、ありがとうと言えるのが中級
何もない普段の生活にも、ありがとうと言い続けられるのが上級
「ありがとう」という言葉には、三つの意味があるといわれています。
初級
一つ目は、人に対したお礼の「ありがとう」ですね。
でも、人に対して「ありがとう」と言うのは、室町時代からみたいです。
もともと「ありがとう」は神に対したコトバなのです。
中級
二つ目は、文字通り、「難」が「有る」から「有難う」「有り難い」という意味です。
苦しい時、病気も「与えられたこと」に感謝して受けて「有難う」と言う。
「難」は自分から発した悪想念が自分まで返ってきたことですから、反省して感謝すると、魂の進化になりますね。
「難」に対して、人のせいにするか、人を恨むか、また、「医者よ」「薬よ」「宗教よ」と自分の苦しみを他人に取ってもらおうとするか、自分次第ですが、無駄にしたら、さらに「難」が次々来ますね。
「難」に遭って、反省して感謝して人は進化します。
だから「有難う御座います」ですね。
上級は
何もない普段の生活にも、「有り難い」ことと感じられるか、です。
三つ目は、文字通り“有り難い”すなわち“有ることが難しい”という意味が込められてます。
『一個の霊魂が霊界より地上に誕生するのは、
仲々の重大事である』と御神示にあります。(【先祖供養の重要性】から)
両親、両親の性格、両親の無数の先祖、兄弟、境遇、カルマ、時代背景など、霊魂の進化に最もふさわしい諸条件の元に、奇跡的に、私達は生まれて来た。
虫ではなく牛ではなく犬ではなく、人間として生を受け、存在し生かされていること自体が奇跡以外のなにものでもない。奇蹟と言ってもよいのではないでしょうか。
まさに『有ることが難しい』 まして、この世界には60億以上の人が住んでいるのに、
同じ星に生まれて、同じ国に生まれて、 しかも、今、この未曾有の宇宙変容の時に奇跡的に生まれ合わせ、 目の前にいる人と一緒に過ごすことが出来る。 考えてみれば不思議なご縁で、
奇蹟と言ってもよいのではないでしょうか。
こんな奇蹟を起こしうるのは、神しかいない。
まさに『有ることが難しい』あり得ない有り難いことが「有難う」です。
このように 何もない当たり前の普段の生活でも、『有ることが難しい』奇跡の連続なのですね。
日々どれだけ『有ることが難し』の有り難いことに満ち溢れているか!
それを感じたら、生かされているという感謝の心『ありがとうございます』と言い続けられるのは上級なのです。
さらに『有難う御座います』は、
【ここに『宇宙の真理』がおわします】という意味だそうです。
有難う御座います
人に何かして頂いた時、私たちは「有り難う」と言って感謝します。
「有り難う」とは「難しい事、困難なことが有り」と書きます。
それがどうして感謝の気持ちを表す言葉として、日常で何気なく使われているのでしょうか?
本来は感謝を表す言葉ではありませんでした。
「有り難う」は「有り難し」から派生しています。
「有ることが難しい」「非常に稀である」という意味だと教えらましたよね。
その昔、世に極めて稀な事や珍しい事は、神や仏の力で実現されると考えられていたと言います。
そういう稀な出来事や奇跡を起こした神仏の力を讃え、同時に感謝の気持ちを表して「ありがたし」と手を合わせて神仏を拝んだのが今に伝わっているのです。
珍しい、有り得ない事が起こった場合に使ったのですね。今日私達の日常においても、人の好意、親切、助け、協力はいつも「有る」ものではありません。
時々示してもらうからこそ「有り難い」のです。ですから「有り難う」が感謝やお礼の言葉に使われているのです
「有り難う」の語源は、神仏への感謝の「有り難し」が変化したものだと言われています。
神への感謝の言葉であった「有り難う」を、折りに振れ心を込めて言うことは、「難有り」を「無難」に変えていく事だと聞いたことがあります。ちょっとしたお人の心遣いにも、心から感謝できる人間でありたいですね。
日本人は心を込めて、又はさりげなく「有り難う」と自分の気持ちを相手に伝えるのが余り上手ではありません。感謝の気持ちを素直に気軽に現せる「有難う」をもっと日常の生活の中に生かすと、住みやすい世の中になると思います。こんな良い事が色々な所に書いてありますよ。皆でもう一度考えましょう。必ず良い事があると思いますよ。
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