嫌な人との付き合い方

 人間生きていく上で、嫌いなタイプや好きなタイプが必ずいるものです、人としてこの世に生を受けて、初めて人と接するのが「母親、父親、病院の先生、看護師」であります。物心つく迄は相手を選ぶ事が難しい、ある程度年齢がいけば、こちらから「好き嫌い」で選べるが、それ迄は相当時間がかかる。最初に「好き」になれば、それが初恋です。人間は成長すればするほど、人付き合いで悩むのです。それは、ハッキリ言って成長の証しであり頭が良いから悩むのです。中学、高校、大学、で付き合う人は、まだましでその時代に付き合う人は、「自分の好きな人とだけ付き合えば」良いのです。嫌いな人は避ければ良いのです、社会に出て付き合う人は、こちらの都合で付き合ったり、避けたり出来ないからです。人間生きていく上で、自分のいで物事を行うと、お飯(おまんま)が食べられないのです。社会に出て、良い顔、汚い顔、美しい顔、醜い顔、色々ありますが、こちらから選ぶ事が出来ない場合が多いです。この顔は許せない、この顔は相性が良い、この顔は肌が合わない、色々です。でも自分のいを言ったらその周りの場から去らなければなりません。社会とはそういうトコロです。職場でのいは「批判をされる」と嫌いになるのです、それが正しい事であっても、その人が嫌いになるのです。どんなに親しい人であっても「ひどく怒られたり、非難されたりすると」今迄の好意は一転するのです。自分の周りを見て下さい、自分自身になんか似ている人がいませんか、「自分に似ているから好き」になるのです、私達はその人と「違っているから、嫌いに」なると言います。良く考えて下さい、「自分に対して反対意見を言う人を、嫌いに」なっていませんか、その人には強く反発して、嫌悪感な気持ちを持っていませんか。持っていて当然なんですよ、この様な「嫌悪憎悪は自分を守る為の、防衛反応」だと言われています。人の体に色々な菌が入ってくれば、その菌をはね除ける為に拒否反応するのと同じですよね。一つ目の嫌いになる理由は「自分より相手が優れていた場合」一つに顔が奇麗だったり、頭が良く成績が良かったり、自分より気が利いたり、自分より人に対して「思いやり」があったり、自分より「リーダーシップ」が取れたりすると、嫌いになると思いませんか。二つ目は自分に対して「モノをズケズケ言う」そういう人はだれも好まないですよね、例えば会社の運動会で「お前足が遅いからな」と上司にハッキリ言われたら、その上司に対し反感を持ちますよね。自分が「足は遅い」と思っていても、露骨に言われたら、その人間の自尊心が傷つけられて、嫌いになってしまうのです。一度嫌いになると、その嫌いな人から遠ざかり、付き合おうとしなくなる、これは人の本能的行動であると言われています。人は賢いのです、表面的形式的で付き合い、人間的には付き合っていないのです。嫌いな人との付き合い方は「形式的に付き合いを」旨くすれば良いのです。分かりましたか。何も難しく考えなくて良いのです、ようは、「心理的」に付き合わなければ良いという事です。心を許すなという事です。三つ目は自分の大切なモノを(人を)持っていかれたり、取られたりした場合に嫌いになるのです、この三つ目の場合は顔も見たくないし話もしたくないのです。じゃどうすれば良いか、住職曰く「人は誰でも嫌いになる事が出来る、逆も同じく、誰でも好きになる事が出来る、そういう時は、自分の意志で止められる人になれと」言われた、ようは自分の心をコントロールして「形式的に当たり障り無く」付き合えと言う事です。言葉は悪いですが「挨拶だけして、無視をすればいいと、話は聞くけど反応しない」という事です。私のこのホームページに書いてあります。

形式的な付き合いの典型的なのがこの人物です」20121023日の大滝秀治さんの葬儀に参列して、友人代表で「お別れの言葉を朗読された」倉本聰です。

 

この倉本聰は今から40年前にNHKと喧嘩をして、ドラマを干されて北海道富良野に逃げ落ち、暗い人生を送っていた、この倉本聰に一番に声を掛けたのが日本テレビのプロデューサー「拝啓おふくろさん」で二番目がフジテレビの「富永卓二北の国からの監督」であります。倉本聰は出る所出る所で揉め事を起こす、それは「己というモノが分かっていない」からであります、脚本家は黙って「脚本の仕事をしていればいいのです」脚本家の仕事を飛び越えて、監督の領域に入って来るから揉めるのです。「皆良い作品にしたいから」揉めるのは分かりますがね、でも仕事が終われば皆仲間ですよ。倉本聰は揉めた人とはもう付き合わない、例え世の中にカムバックさせて貰った人でもです。それはそれで本人が決めるのですから良いと思いますが、我が住職の言葉「村八分とは結婚、祭り、•••」人間は、生きていく上で10の付き合いがある、その内8つまでは付き合わないが(だから村八分という)あとの2つは付き合う「葬儀火事」葬儀はどんな悪人でも、死ねば許されると言われています。火事はほっておいたら自分の家、財産を燃やしてしまうから。どんな事があっても付き合うと言う。その「富永卓二の葬儀」に来ていなかった、どういう理由で来ていなかったか。葬儀に出ないなら全ての葬儀に出ない事、あっちに出て、こっちに出ないのは「•••」ですよ。倉本聰さん貴方の事は色々書いても良いのですよ、私が若い頃貴方の運転手していた時の事を、知ってること書かれ暴かれては拙いでしょ。自分の行動が間違っていないか神様に聞くように「我が住職」が言っていましたよ。倉本聰さん分かりましたか、分かるわけないか。