白洲次郎K

このご婦人と俺の考えは、自分の死をも厭(いと)わない精神を持ち、自由を手に入れて、自分の責務を常に全うし、家族の為又は国民の為に「いざ鎌倉」の精神で日々過ごした、その様な考えだったと言われた。
それは、常に相手と「差し違える」思いで交渉したと、これが俺が学んだ「武士道」だと言われた。

武士道とは、言葉で相手を脅す事ではなく、態度や目や心で分からせる事だと、真剣に言われたんです。
明日の日本の為に、俺の「命」など、な?んて事はない、唯、日本が「馬鹿」にされる様な事があったら、俺は許さない、その時は喜んで「命」を差し出す気持ちだし、そういう勇気、根性、精神を常に持っていた。

戦争には行かなかったが、違う意味での日本を守る事はできる、武器を持たず口先や知能や根性や勇気で相手を打ち負かす、そんな勇気・精神は持っていたから、交渉相手は、俺を怖がった、又相手から恐れられた。
武士道とは「死ぬ事」とみつけたりと、いう。(この時の白州次郎さんは目が輝いていました)
常に、戦場と同じ境地だ「勝つか負けるか」の話しだ、武士の気持ちで俺は3度その境地に遭遇したと、いう。

何故、俺が戦争に行きたく無いと思った(言った)か、それは行けば「犬死になる」からだという。
どうしてか分かるかと、真顔で言われた、兵隊の事など何んにも考えず、やりたい放題の戦法だからだという。
又「俺達に全権」を任さないからだと、もし全権を任され失敗すれば、俺達皆が自決する覚悟だったという。
だから、行っても死ぬだけだからな、武士の時代の戦をやるからだと、常に突撃・突撃だからなと、言われた。
色々な方に対し「赤紙」が来ない様にお願いした、必ず日本の戦後処理を死に物狂いでやるからと頼んだという。
戦場で戦う戦争もあれば、生きて戦うやり方もある「それは、いまだ」今(戦後、吉田茂の元で)俺はアメリカと「戦後の・交渉」していたと、その交渉が失敗すれば、俺は「死」を覚悟していたと、言われたんです。

日本の将来を、今ここで勝ち取らなければ、日本はアメリカやソ連(ソビエト)の「奴隷」にされてしまうからな、どんな事があれ、それだけは避けないといけないと思って望んだと、真顔で話されたんです。
そんな事(奴隷)を許せると思うか、それは戦死者や日本国民が浮かばれないからな、何が何んでも・・。

戦いとは「全てが作戦」だと、先人からの教えだと、その教えを何故やらなかったのかと、言われた。
軍人が調子に乗りすぎたからだと、調子に乗るとは「武力・突発的行動」で制圧して成功したからだと、言う。
先人は「武力」に頼れば「武力」に負けると、知っていたからだと、言われた。
その「武力」に勝るものは「知力・作戦」であるとの教えだ。(石原莞爾陸軍中将を筆頭 に仲間が1,000人)
「知力」とは、攻略方法であると、作戦であると、先人からの教えを守らないから「戦争」で負けたと、言う。

もし俺達が「全権任され」戦争したならば、アメリカの態度発言等は、俺が態度、発言等をしていた。
勝戦国になり、相手の席に俺が座ってアメリカ・ソ連(ソビエト)に意見を言っていたと、言われたんです。

それをさせなかったのは軍人達だ、皆、戦犯として処刑されたんだと、当たり前と言えば当たり前だけどなと。
全く違う立場の人間も処刑された、それは「侍」だから黙って死んで逝った、そういう「侍」が、この戦争で、皆死んで逝った、本当に「悲しいな?」と、声を詰まらせて言われたんです。(涙が出ていました)

俺が吉田茂首相の下で働いている時に、こんな話が耳に入ってきた、黙って聞いていたと、言います。
「What is the point of leaving a gift from His Majesty the Emperor lying around・仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺に置けとは何事か」と言ったと聞いた、当時馬鹿にされたと思った人間がいたんだろうな。
その人間はこんな発言をすれば、間違いなく「処刑」される事を、覚悟しての発言だったと思う。

俺がGHQのマッカーサーに対し、そんな事言うと思うか、又俺の役目は全く違う役目だからなと、言う。
俺の仕事は、アメリカ人に贈り物を届ける役目ではない、俺は日本の将来を通訳していた、俺なりの戦争だったと、その俺の「性格・根性」を知っているから、又俺は「特攻隊員」の精神を持っていると思われていたから、アメリカ人やソ連(ソビエト)の人間には、少しばかり怖がられ、又恐れられていたと、言っていました。

その発言をした人間に会いたかったけどな、会えば「よく言った」と、褒めてやったと、言われた。
間違いなく、誰かがマッカーサーに上記の発言をしたという話しは、何処に行っても聞いていた。
誰かがアメリカのトップに、失礼な発言をしたと問題になったから、俺の名前を言って黙らせたんだろう。
そんな発言をするのは、俺しかいないからな、アイツなら言いかねないと、思われていたからな。
白洲次郎ならアメリカも黙るだろうと、思っての事だと思うから、俺は黙っていてやったと言われた。
後世に語り継がれようとも、俺のやっている仕事が分かれば、俺で無いと分かる筈だと言われたんです。
アメリカやソ連(ソビエト)には嫌われたけどな、だけど誰かが言わないといけないし、嫌われて本望だとね。
今回このホームページに掲載した「吉田茂元総理」の写真が白洲次郎氏の上記の発言を物語っています。

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