初代二子山親方に聞きました、どの様にするべきかと、すると、それをチャンスと言うと言われた。
その「チャンス」とは先に来た方を優先するべきだと、大関になる「チャンス」が先にくれば大関にです、学業や啓発が先に来れば、来た方を最優先にすれば、後悔が無い人生になると教えられた。
確かにスポーツの世界ではそうかも知れない、でもプロを辞めた後の人生は、プロ生活の何倍もの長い人生ですから、その世界しか知らないのではなく「物事の通り」を勉強して行くべきだと、私的には思う。

野球を辞めた後に学校に行かれている御仁もいます(元巨人の桑田投手・辞めた後に気が付いた)。
私的には「よく考えて・決断」する様に指導しています、何で人生そんなに慌てて進むのか(何も世間が分からず17歳18歳の時から働くか)と、じっくりゆっくりと進む様にするべきだと助言しています。
働き出したら一生涯働くのだから、本当にじっくり考えて、考え抜いて決断してからでも遅くないのです。
相撲界の「三年先の稽古」という言葉の通り、力士としての体づくり・自分にあった相撲の型や技・怪我に強い体質等は、決して一・二ヶ月の特訓などでは作り上げることはできないと、言います。
それ故にこそ、二年、三年先の自分の姿や目標をしっかり頭に叩き込み、そこに到達するために、今何をすべきかをよく考え、又周りの人とよく相談して決めるのが後悔の無い人生になると思われる。
そして目標に向かってどのように成長していくか、更にそのための努力をいかに継続するか、ということが問われると言われた、相撲の世界の人達は中学を卒業した13歳14歳からその世界に入るから、周りの助言をよく聞き、親ともよく相談して、後悔の無い様に決断するべきだと、教えられた。
高知の我が住職が言っていました「お前は石の上に座る事が出来るか、又座った事があるか」とね。
私は「座った事は無い」と、言いましたら、住職は「何故、座った事が無いか」と、言われた。
私は住職の目を見て、ハッキリと「石は硬いし、痛いから」と、言ったら、住職は大きな声で笑って言った。
住職はその痛さ、硬さを身体に感じさせておけば、身体が一生覚えているから忘れるなと言います。
その硬さ痛さを身体が覚えている事が「辛抱」「我慢」に繋がるんだと、言っていました。
人生は全て「辛抱」「我慢」か、おいらに出来るかな。(小学6年の時)


以上の話しを白洲さんに話しましたら、腕を組んで、暫く考えて上を見たり、下を見たりしていました。
最後は、白洲さんに睨まれた目に、涙が滲んでいました、じっと白洲さんは私から目を離しませんでした。
暫く沈黙が続き、白洲さんは「俺の人生の何倍もお前は体験して」人生を過ごしているなと、言われた。
人間の根源を教えて貰ったな、と言いました。(私も涙がこぼれ落ちました)
その若さで良く覚えているし、又自信を持って喋れる事は、凄い事だと、思うと、感心して言われました。
俺がお前と付き合いしていて「死ぬ前にお前から教えられた『人間』とは」こうあるべきだとな。
俺も色々な体験をしたが、これといって感動したり、胸を掴まれた事は一度も無かった。
ここにきて、お前に嫌という程「胸を、心臓を」掴まれた「痛いな?」と、冗談まじりで言われたんです。
今日はやっと「ゆっくり寝れるな」と、真顔で私に言ったんです。(二人して涙を流しながら笑いました)
人は必ず何かを待っている、それは何かだ、わたるお前の何かは「勇気」だと。
それが白洲次郎さんとお会いした最後の言葉でした、多分もうお会いする事はないだろうと感じたんです、
何故なら、俺が「死んだら、田舎に帰れ」と言われたんです、それまで「儲けるだけ儲けろ」と、ね。
田舎で次の世代を育てろ、それが日本に貢献する事だ、又俺に対しての餞(はなむけ)だと言ったんです。
色々なモノを白洲次郎さんから頂きました、一番大切なモノは「白洲次郎氏からの友」を戴いた事です。
一生涯の財産でしたね、皆さんから本当にご協力して頂き、儲けるだけ本当に儲ける事が出来ました。
今も白洲ファミリーに面倒見ていただいています、本当に挫折寸前を助けて頂きました、感謝・感謝です。

日本相撲協会の「理事長」をされた「魁傑・放駒親方」に、一言(ひとこと)言われました。
ナベ「有り難うな」と、又ナベの「仲人」が出来なかった事が心残りだと言われ、嬉しかったです。
今も線香あげに行くと「魁傑関・放駒親方の・奥さん」から、言われます、ナベさん「有り難う」とね。
でもね、理事長は「やりたくてやったんではない」と、言っていました、私は「ですよね」と返事をした。
次回