イギリスにて生活していたら、家が倒産した「金」を送って来なくなり日本に帰って来たと言います。
帰りたくは無かったけど、金を送って来ないから生活出来なくなったと、言っていました。
凄い時代を白州さんは生き抜いて来たんですね、日本に帰り色々のコネと紹介で色々な人間を頼ったと言います、親父さんが国の機関の偉い人間とイギリスで知り合い、その人間に通訳で雇われたと。
その1人が「吉田茂首相」であったと、白州さんのお父さんが相当なお金を吉田茂首相に援助していたと言っていました、だから「俺を面倒見た」と、言っていました。
やはり、英語がモノを言ったんだと、白洲さんの言う事に周りは誰も答えられないでいたといいます。
皆、米語を喋るからな、俺が「英語」で喋って、通訳した事が皆んなに気に入られたと、言います。
アメリカの偉いさんが俺に向かって「ほざいた」と、相手の目を見ながら「ほざいてやった」と言う。
その時にこう言ってやったと「treat someone as an equal・対等に話し合おう」と、言います。
君も「英語が上手く」なったら、その時に対等に話し合おうと言ったら、黙ったと言っていました。
面白いですよね、日本にはこれが本当の日本人なんだという、昔でいう「武士」が多くいたんですね。
その武士道を身につけた人達が、戦争の先頭に立ち皆さん死んで逝ったと聞きます。

何年か前に、大学院のゼミが軽井沢であり皆で食事をしたいからと、軽井沢ゴルフ倶楽部を尋ねると支配人らしき方が出て来られ「丁重にお断りされた」ので、大きな声で挨拶しました。
私は「わたる」です、「I'll come again when I have moneyお金を持ったら再度きます」と言ったら、顔が引き攣っていました、呼び止められましたが振り向きもしないで帰って来ました。
○○を持ったら、来いと言われていますから「メンバーにして下さい」と其の内、行こうと思います。

白洲さんは「俺は間違っても日本人だし、日本人はこうあるべき姿を」今まで貫いてきただけだと。
「只の嫌われ者だ」と、言われた、俺が死んでも決して「俺を美化するな」とも、言っていました。
間違ってもそんな事は無いけどなと、笑って言っていました。
だけど、時代というモノが存在するから、どの様に「白洲次郎」を後世に伝えるかです、ストーリーはその作者によって書き換えられ、虚偽のスートーリーが生まれるかもです、いいのか悪いのかは・。
最後に、この事は白州さんの値打ちと言うか、品性というのを、下げるかもしれないですが。
白州さんは、戦争には行きたくないと「行けば、死ぬ」からだと、言っていたと言います。
「赤紙」が来た時に辰巳栄一陸軍中将にお願いしたと言います、わたし的には分かりますけど。
後に辰巳栄一陸軍中将は白洲さんのご紹介で吉田茂氏の片腕になったと言います。〇〇Aですと。
この話は「児玉誉士夫」氏の〇〇から聞きました、後日「白洲次郎自伝」で記載されたんです。
その児玉誉士夫邸を売却する時は、私の所に売却依頼があり、鑑定書を書きました。
裕二郎灯台が見える、直ぐ前の一等地の場所に児玉邸はありました、家の中に当然入って写真等を撮るんですが、その写真等にあるモノが映っていました、それはアメリカの「○○○」の写真付きの証明証でした、余計な事は書けないですからね、だから児玉誉士夫氏は「逮捕」されなかったんですね。
最後に我が一族と言われる、渡邉○○氏が、白州さんが勤務されていた会社に居たので、ご紹介した。
私は横綱の運転手をしていない時は、白洲さんと一緒していました、色々な話を聞くことが出来たん
です、一時期は常に一緒していましたから、危ない話やら楽しい話やら怖い話やら色々でした。
その当時の社主は「務臺 光雄」氏でした、その下に小林與三次氏がいて白洲次郎氏とは仲が良く、一族をご紹介した渡邉〇〇は、小林與三次氏の家来になったと、いっても過言では無いです。
その証拠に、渡邉〇〇氏はメキメキ頭角を表して、最後は読売新聞社を我が物顔で牛耳っていました。
渡邉○○氏は若い時からアメリカに近い人間だったから、務臺 光雄氏の事を恐れていたのです、その事を白州さんはご存じでしたね、だから務臺 光雄氏の時には、影に隠れてひっそりと仕事していたと。
それでも、私の一族ですから、信頼はしてなかったでしょうが、そこそこの付き合いや会話はしてくれていました、渡邉〇〇氏が皆で食事した時に私に対し、会社の名前の領収書を貰う様に言われた。
白州さんは、私に対し一度も会食後に領収書を貰う様に言われた事はない、そういうセコイ一面を持っている渡邉〇〇氏を好きでは無かったと、わたし的には感じていました。
唯の貧しさならば、皆んな世間は貧しかったからと、彼は心が貧しかったから、その行為を見抜かれたんだろうと、住職は言います。
今回掲載の写真を見てください、アメリカの1ドル札の裏側に載っている写真と、このバッチの写真は同じです、何だかわかりますか。


当時のアメリカ大統領も同じ仲間なんですよ。
次回