白 洲 次 郎 B

 

 

その家族とは、今でも家族同然のお付き合いをしています、私達の家から育って出て行きましたから。

今でも・・を名乗り、親戚付き合いしています、家の家宝として〇〇から受け継いでいる「刀」「槍」「薙刀」を家でお預かりしています、その古物を新宿のお店で販売してくれと言われて、販売中です。

白洲さんは、その話、面白い気に入ったと、大声で言われ皆さんから拍手されていました。
「よーし分かった」その話し益々気に入った、「今度会わせろ」いいなと、嬉しそうに話していた。

私は「分かりました」と返事して、皆さんに挨拶して帰りました。

秋に突然「高知に行くから待ってろ」と、言われ、高知に帰り待っていました。

今、白州さんが芸者さんと高知にいるからと、家に連絡を貰いました。

城西館に居るから「例の所に、お連れしろ」と言われました。

 

 

・・・の子孫の実家に行きましたら、母親は息子の所に行っていた(息子は若い時に交通事故に遭い、とある病院に下半身麻痺の為)入院していると、ご報告したら「病院に行こう」といわれ三人で行ったんです、会うなり白州さんは、見舞金10万円(千円札で100枚)出され相手は困惑していました。

ただ顔を見ただけで余り話もしないで、挨拶だけで帰りました。
帰る車の中で「わしと同じ位、でかいの〜」と、ベットだったが180cmは超えているなと。

「家系は、皆でかいのか」といわれ、私の「知っている人間は、皆大きい」ですと、話しました。

「似ているな」写真とか・・・に、感じが似ていると真剣に言っていました。

高知に来た甲斐があったと、喜んでいました、白洲さんから又お金を頂きました。

白洲さんと芸者さん二人は、京都からたった5分「彼と会う」為に来られたんです、京都に帰る時に私に向かって「近い内に」ゴルフをやるから来いと、投げやりな言い方で言って、帰って行きました。

それから、暫くして連絡を貰い、軽井沢の大学の寮で泊まりゴルフをさせて頂きました。

ゴルフ場で食事をしながら「お前が○○を持ったら、ここのメンバーにしてやる{おい、こいつがここのメンバーにしろと来たら、無条件でメンバーにしてやれ}分かったな」と言って下さいました。
そういう豪快な人でした「白洲次郎」さん、とはです。

ここに本当の白洲次郎を述べたいと思いますから、書いているんです。

私は、実際「白洲次郎」さんに、お会いしてお話ししているんです、色々な方から「白洲次郎」さんは、どの様な方であったか聞きに来られます。

皆さん喋っている方や書物に記載されている方は、お会いしてないんです、空想で喋ったり、書物にお書きになっているんです。

だから私のホームページの話を「文献」として、書かれているんです。

皆さん書いている事は、余りにも「綺麗」過ぎる、私が知っている「白洲次郎」さんは、何時も芸者さんを連れているし、企業からお金を貰っていたんです、いつも財布には誰かが「お金」を入れて帰って行ったんです、その財布に入れたお金を、私に下さるんです、本当に私的には有難かったです。

白州さんのやっている事を、言うんでないぞという、口止め料だと思っていました。

私に、白州さんは「俺は会社のゆすり屋だ」と言っていました。

企業からモノを頼まれ役所に行き、「おい、何処そこの会社、面倒みてやれ」と言って、上手くいけば、会社から金を貰う「一種のゆすり屋・次郎だよ、俺はな」と、言っていました。
日本で、今役所を「はい、分かりました」と言わせる人間は、三人いると言いました。

一人は右翼の岡村吾一で、あと一人は同和の尾崎清光だ、と話をされた。(昭和の話である)

そうだ尾崎清光は高知県だ「わたる、お前と同じ土佐だ、知っているか」と、聞かれました。

当然知っていますと「相撲の荒瀬関」が可愛がって貰っています、その時一緒に運転手として同席します、何処に行く時も一緒して行きますから色々話をしますし、見聞きして知っています。

どんな事を知っているか、と白洲さんに聞かれました。

ハッキリいいまして、○○○です、若い時に大阪で〇〇やっていたと、指が〇〇んです。

高知県の〇〇から常にお金を取られていて、いつも私と荒瀬関に泣き言を言っていました。

一つは凄い性欲です、半端じゃ無いです、ホテルで必ず3部屋借りて、女性を3人各部屋にいてもらい次から次と、それは凄いですよ。

 

 

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