白 洲 次 郎 @

 

 

今回私のホームページをご覧の方が、是非とも中の内容を拝借したいと言って来られます、昨年だけで6人の方からです、文献や参考として書かれています、だから今回は敢えて書かせて頂きました。

「白洲次郎」の本として、又講演の材料(文献)としてお使いになり、皆さん発表されています。

良いのか悪いのかは分からないですが、私が言える事は「皆さん白洲次郎氏とお会いになった方が」いないんですよ。

だから私に色々な事をお聞きしたいんです、白洲次郎氏にお会いした人が数少ないですから、如何にもお会いした如く話をしますからね。

白洲次郎氏をご存知の方は、私が知っている方は3名だけになり、もう殆どの方は亡くなりました。

何故その方を私が知っているのか、その方々は「〇〇〇〇のメンバー」ですから、若い時に私は仲間に入れと「それは〇〇」言われました、白洲次郎氏を囲む人達は皆さんそのメンバーでしたから、私は「そのメンバーの人達から可愛がられ、色々な方をご紹介され」儲けさせていただきました。

白洲次郎氏がご存命の時から全ての会議や会合を仕切らせて頂きました。

ハッキリ言っておきますが、私は唯のパシリであり「〇〇〇〇のメンバー」ではないです。

感謝しているのは私であり、お集まりになった方達(少しは感謝してくれたかな)ではないです。

私は当時、お相撲さんの運転手兼マネージャーをやっていましたから、それも各界ではNO1の人気者の相撲取りでしたからね、輪島・貴ノ花(初代)魁傑・荒瀬・龍虎、何処に行っても凄い人気でした、

白洲さんを囲む皆さんから、相撲の枡席やら、人気者の相撲取りの色紙にサインしたモノや浴衣の反物等を頼まれれば、いち早くお渡ししていましたから、本当に可愛がられました。

事の始まりは

私が若い時の夏に、私は長野県の軽井沢にある大学の軽井沢寮に行っている時に、ある人物と知り合うことが出来たんです、其の時は「大変失礼な、ただの親父」でした。

雨が降っている日に、自転車で寮まで帰っていましたら、大学の寮の入り口の道路で、車が溝に落っこちていたんです「大丈夫かなと」思いながら、通り過ぎようとしましたら、大きな声がしたんです。

車の窓を開けて「おい、若いの」と声を掛けられたんです。

私は「はい」と言って、自転車を止め、車に近づくと、白髪頭の叔父さんが「車が溝に落ちた、上げろ」と言われたんです。

え〜と言い、躊躇していましたら、又その白髪頭の叔父さんに、大声で「やれ」と言われましたので、思わず「はい」と言って、返事をしてしまいました。

自転車を端に止め、車を上げようとするんですが、一人では上がらないので、車に乗っている叔父さんに言いました。

叔父さん「車から降りて一緒に上げて下さい」と、言いましたら。

「馬鹿モン」俺がそんな力が有るわけ無えだろう「誰か呼んで来い」と、上から目線の命令でした。

少しカチンときましたが、年寄りだしいいかと思い、寮まで人を呼びに行き、5名位来てもらい、雨の中びしょ濡れになりながら、皆で車を上げたんです、皆で手を叩いて喜びました。

上がったら、車の中から手を上げ「おうー、サンキュ〜ウ」と言って、そのまま車は行ってしまった。

皆が唖然とし、ブツブツ言いながら寮に帰り、風呂に入って「車の親父の話で、もちっきりでした」あーでもないこーでもないと話しながら部屋に入って寝ました。

 

次の日スーツ姿の紳士が、寮を尋ねて来られ、昨日の車の事で私を探しに来られたと聞きましたから。昼ごはんの時に、隣の「ゴルフ場」に来て下さいとの伝言を受け、尋ねて行きました。

ゴルフ場の偉い人らしき方が出て来られ、クラブハウスの中へ通されたんです。

昨日の雨の中での事を「有難う」とお礼を言われました。

私は困って「あの、昨日の叔父さんでしたか」と、聞きましたら。

その方は「私ではありません、ここの常務理事です」と言われたんです。

今日は居ませんが、明日帰って来ますから、先ずはお礼までと、思いましてと、言われました。

その日は挨拶だけで、明日昼に来てくださいと言われ、手伝った皆さんにとお土産を頂き、寮で皆んなにあげましたら、喜んでいました。

 

 

又次の日に、ゴルフ場を尋ねると、二日前の大柄な叔父さんが迎えてくれました。

いきなり「飯食うか」と言われましたから。

「はい」と、言って後ろをついて行ったんです。

食事をしながら名刺を出された、名刺には「白洲次郎」と書いてあったんです、誰だか知る由もない。

その日は確かステーキをご馳走になりました。(この時代のステーキは大変貴重でした)

 

次の日もその次の日もご馳走になりました。(何も話さないけど、随分気に入られました)

ゴルフ場で待っている間はパターの練習していました 、白州さんが来られ「お前ゴルフやるのか」と、聞かれましたから「はい、学生の時はゴルフ部でした」と言いました。

白州さんは、そうか、ゴルフ部か「今度ゴルフやろう」と言われました。

ぶっきらぼうな人ですが、好感の持てる人だと感じました、少し口は悪いですが。

この時代の人は皆さん口は悪いし、態度は悪いし、常に上から目線の人が殆どでした、だけど面倒見は良かったですね、まー豪華いな人が多かったです。(戦争帰りの人が多かったですからね)

 

食事が終わって、白洲さんに「明日東京」に帰りますと言うと、そうか帰るかと言われました。

又「何をしてる」と聞かれ「横綱輪島関の運転手兼マネージャー」ですと言いいました。

今の時期はお相撲さんは巡業中ですから、休みを頂いてゴルフをしていました、と言いましたら。

白州さんは「ニコニコしながら、そうか、分かった」と言って別かれました。

この時に会った人が、偶々「白洲次郎」であっただけです、運命なのかそれは分かりません。

 

 

次回に