
前回からの続きですが。
はっきり言って私も辛いし悲しい、龍一さん自分の人生だから納得していたんじゃないの、嗚咽の涙は堪えるよ、誰だって「死にたくない」と、思うけど、若い頃話したでしょう。
最後良ければ「全てヨシ」とね、最後は自分の死を悟って、テレビで名を残す放映されたからね。
その時、龍一さんとこんな話をした、人は「何故産まれて」きたかとね、男の子の話を聞いて貰った。
その男の子が高校生の時に、学校の帰りに私と会って、私に向かって、突然「・・・のスポーツを」やると、言うんです、それも真剣に私に向かって話しかけてきたんです。
何も言わず黙って彼の話を聞きながら、歩いていました。

「先生・僕がどうして『生まれて』来たか知っていますか」と、私に聞きました。
僕がお母さんのお腹にいる時に、お母さんからの「声」が聞こえたんですと、言います。
「お母さんは『君は産まれてきたら大変な目に逢うけど』どうする」と、言う声が聞こえたんです。
でも、僕はお母さんに言いました「いいよ・頑張るから」と。
だから僕は産まれてきたんです、色々今まで有ったけど、誰には一度も泣き言を言った事は無いです。
でも今日は「先生に聞いて貰いたくて」・・・。
嫌な事が有ったみたいだな、いつもと違うなとは思ったけど、やっぱりな。
人間の「業・ごう」が見えたか、人間は表向きは、綺麗事や良い事を言うけれど、いざという時には本性が出る、その本性を「見たか」と、言うと、彼は黙って私の話を聞いていました。
又、それは「僕が障がい者だからですか」と、言いましたから。
私は言いました「人間生きていくうちに、必ずぶつかるのが『業・ごう』だと」家の住職の教えだと。
住職は「業・ごう」とは、その人間やその時期や場面や時代や時間によって変化するという。
どういう事かと言うと、例えば、女性に告白した時に相手から御免なさい(もっと良い人や金持ちを探している)と断られたら、心の中には上記の事を言わないけれど、持っている、それが「業・ごう 」だと。
普段は何気なく接してくれて、勘違いするほどよくしてくれる、でも(心に秘めたるモノ)は違うぞと、教えられた、と。(それを本性が現れるという)
又その「業・ごう」を見抜く事は非常に難しいけれど、必ずその人間の「業・ごう」は現れる、と。
私は、インターネットに掲載されていた事を彼に話した。
「今は有名人になったけど、子供の時から黒人とのハーフで、母親に対して『何故・産んだ』と、ずっと言っていたと」掲載されていた事を彼に話した。
野球や陸上やバスケットボールで今は成功しているけれど、子供の頃は今と違い「いじめにあった」と、インターネットに記載されていた、その話を彼にした。
僕も知っています、でも僕はそんな事は一度も言った事はないです。
僕が「いいよ・産んで」と、お母さんにお願いしたんだから。
先生には、いつも面倒見て貰っているし、助けて貰っているから、今日はどうしても話したかった。
先生、僕の話し可笑しいでしょう、だから誰にも言わないでいたんです。
私は、続けて高知県の家の住職の話をしました。
住職はこんな事を話してくれたと、人生、この世に生を受ける前から「聞き耳」を立てあの世に逝く時まで、心穏やかに聞いて過ごせと、言われたとね。
生きていく事で、一番大切な事は、語り掛けてくる声を聞く事だと、その「声を聞く」ためには、常に心静かにして聞き耳を立てる事だと、その為には健康で、体を鍛練する事だと、住職は言ったと。
人間の身体はもの凄い可能性を秘めたものだ、可能性を求めて突き進んで行けばいいと、言っていた。
それは、この世に産まれて来る前から、お釈迦様や御先祖様は必ず語り掛けて来ると、言います。
この男性の話し、どう思いますか。
この男性が「子供の時から、又生まれる前から語り掛けられていたと言うのか、心で話しかけられて 」いたんです、そんな体験ありませんか。
私はいつもありますが。
龍一さんに話して、聞きました「この子の話し、どう思う」と、言うと、下を向いて頷いていました。
住職の最後の話を龍一さんにしましたら、目を大きく開き私の話しを聞いていました。
それは、誰しもいつまでも生きて長生きしたい、でも人生にはその人間に与えられた時間があると。
その時間の終りまでに自分にしかできない、思いを達成する事だと、教えられたと、言いました。
人も動物も形あるモノや音や全てが、この世に生をうけた時から、死、崩壊に向かって進んでいると、言われていると言いました。
それは、自分の生きて来た人生を「悔いの無い」ように生きて、人生を全うするという事です。
それは、悔いのない様にするという事は、難しいですよね、人生悔いの残る事だらけですよ。
次回に