雅子?(体調が思わしくないのでずっと側にいた)

 

 

 

私が彼女達と知り合った時は「橋本明代」であり「小達雅子」なんです、有名人になり知り合ったんではないです、週刊誌には3度掲載されました、私と分かる掲載でした、分からない様にお願いした。

当時は、携帯電話もない時代でしたから、一瞬のチャンスを 逃したら、ご縁がなかったという事になるんです、それは、その当時皆さんそうでしたから、チャンスは逃さないと言うか、待っていました。

当時の時代は、男性から「声をかける」チャンスをお互い待っていた時代でした、そのチャンスに興味が無ければ、待ち合わせ場所に、行かなければいいだけなんです、興味があれば再会をするんです。

先ずは第一印象です、その人の愛想でお互い興味を持って、そうやってお付き合いをした時代でした。

私はいつも子供の頃から、家の住職から言われていました、女性がいない人生は最悪だとね、常に女性には「優しく、思いやり」を持って生活をして、日々過ごす様にしないといけないとの教えだった。

雅子は、学生の時に頻繁に私に会いに来たみたいでした、気にはしていましたけど、まだ若かったからね、それに私は「橋本明代」とお付き合いしていましたし、お相撲さんの運転手をしていましたから、忙しかったですからね、雅子の相手をしてあげられなかったです、家に来ても私とは会えないで帰る事が多かったみたいでした、雅子から「いつ行っても」居なかったと、後で聞きましたからね。

お金を持っていない時代でしたから、毎日お相撲さんの運転手をしてチップを頂いて生活していました、雅子と会ってもお茶を飲んだり何か食べたりする余裕はなかったです、いっぱいいっぱいの生活していました、お相撲さんの運転手をしていましたら、毎日タニマチから頂くチップは高額でしたね。

皆さんは、お相撲さんの1日のスケジュールをご存知ですか、朝早くに起きて5時から稽古するんです、それは入ったばかりの新弟子から始まり、次は幕下次は十両次は幕内次は三役次は大関最後は横綱が稽古するんです、大関や横綱はお昼頃に稽古を初め、終わって風呂に入り、チャンコ料理を食べて終われば、昼寝するんです、タニマチと待ち合わせやゴルフに行く関取は昼寝しないで直ぐ出かけます、毎日この様なスケジュールで1日が始まり終わるんです、関取になれば色々な人からお呼ばれがかかり、夜遅くまで飲んだり食べたり話したりするんです。(お相撲さんのゴルフは昼からです)

次の日の稽古に支障がでない様に考えて皆さん行動するんです、それは関取になる前の段階で見聞きして勉強し、関取になったら先輩の真似をするんです、一生懸命稽古する先輩に付けばその弟子は良いところを見習い関取になるんです、又、逆の関取に付いたら容量のいいことばかり考え・・・。

当時魁傑関の弟子で「大乃国」という相撲取りがいました、当然魁傑関は真面目なお相撲さんでしたから、その行為を見ていて大乃国は真面目に稽古して「横綱」になりましたね、付いたお相撲さんにより、その弟子は人生というか未来が変わるのです、いい関取に付けば間違いなく関取になりますね。

お相撲さんの暇な時は、いつも雅子を撮影所に乗せて行っていました、当時は私も若かったですから、少しの睡眠で毎日行ったり来たりしていました、上手く掛け持ちで運転が出来たと感心しています。

この「運転手」をやっていまして、毎日頂く「チップ」は千円札で何十枚もありました、それだけ運転手は今でいう「重要な仕事」だったんです、お相撲さんのスケジュール管理をしていましたから、全ての行き先を把握して、毎日毎日そのタニマチの所にお連れしました、そのお連れする行為に対し、タニマチから「間違いなく、この日・この時間」に頼むと、その時にチップを頂き約束をするんです。

わたし的には、毎日多額のチップを頂き家の押入れの段ボール箱に保管していました、毎日毎日そのお金の事が気になって仕方がなかったです、そんな時代でした、そのお金を使う暇がなく、お借りしている家をお相撲さんの「タニマチ」が、売ってやると言われ購入したんです、凄い時代でした。

大学を卒業してどうするか考えていたら「魁傑関が運転手」やってくれと、言われましたから「喜んでやらして頂きます」と返事して運転手をやりながら、大学院に行く勉強をしていました。

魁傑関は真面目なお相撲さんでしたから「夜遊びは」やらないで、タニマチと食事したら直ぐに自宅に帰っていました、だから私は家で勉強できたし雅子の相手も出来たんです、この時期は本当にいい時期でした、自由に自分のやりたい事が出来て、又魁傑関の運転手もできて、お金も頂き楽しい日々を過ごしていました、又雅子と一緒に何処にでも行けた事が良かったと思う、雅子も楽しそうでした。

少しの時間でしたが、私は普通の人が出来ない生活を、雅子と生活したんです、それは朝から晩までずっと雅子と一緒にいました、本当に嫌というほど側にいました、トイレに行く時以外は一緒でした。

何故なら、雅子は日々体調が思わしくなかったから、毎日身体が「蝕まれて」いたんです、その事を分かっていたのは、私と家の住職でしたから、住職に「側に付いていてやれ」と、言われましたから。

次回に続く。