雅子

 

 

小達雅子(本名・おだてまさこ)芸名は皆さんご存じの「夏目雅子」です。当時私の仮名は山下です。

40年前に、○○女学院に通っている時に、良く車で乗せて行ったり、家で食事したりしていたんです。

その時は、唯の高校生です、勘違いしない様にして貰いたいです、最初から「夏目雅子」ではない。

 

 

雅子の実家は、江戸時代から御典医であり、土佐藩の深尾家「山内家の五家老の一つ」が我が家であり、都合により日蓮宗のお寺をやる事になり、そのお寺に小達家から薬草のお願いがあり、代々お送りしていた付き合いで、昭和の年代に六本木の小達家に色々お世話になり学生時代を過ごしたのです。

その時、「小達雅子」と知り合い、家で食事を度々一緒にしていたのです、唯、家族としてです。

雅子のお父さんから私は気に入られ、随分可愛がられた、六本木の土地・建物の行く末を頼むとね。

雅子のお父さんは若くして亡くなられ、確か47歳で亡くなられたと思います。(神奈川県の長者番付に載った、父親・宗一)この六本木のビル「亀甲ビル」はお父さんが亡くなられ、その後はお母さんが継がれ、小達一雄・長男が売却して今は人の手に渡っているのです、当時私に購入してくれと話があったが、高い事を言ったから、購入を諦めたのです、借入が膨大で大変な事になっていたのです。

私の言う事を聞いていれば幾らか手元にお金が残っただろうに、目先の損得で考えるからね。

家同士の付き合いで、たまたま会ったんです、私は大学生でお相撲さんの運転手のアルバイトをしていて、家に帰って生活していたら、雅子が来ていて度々会う様になり、暇な時や休憩時に、車で学校に乗せて行ってあげたりした、買い物や友達と遊びに行く時には、私も一緒に遊びに行きました。

何処かに行きたい時には乗せていきましたよ、当時花籠部屋に相撲が見たいと言うので乗せていき、帰りは電車で帰した事もありました、当時、相撲取りは誰も「雅子」を気にもとめていませんでした。

高校を卒業して学生の時に、何やら「オーディション」に行くから乗せていってと言われ一緒に行ったんです、そのオーディションで採用されて世に出たんです、その時の担当者ディレクターをやっていたのが、最後に結婚した「通称名・伊集院静/本名・西山(趙 忠來・チョ・チュンレ在日韓国人)」でした、帰りに色んな人から名刺を頂いたと、車の中で喋っていました、○○○○化粧品だったかな。

私は午前中は毎日暇でしたから、雅子から頼まれれば車で送り迎えか、又は車で勉強していました。

お相撲さんは午後の一時まで稽古をしたりチャンコを食べたりして過ごしていますから、結構自由がありました、午後からは夜遅くまで運転をして、お相撲さんの彼女の所や宿泊所や自宅まで行くと後は自由でした、車の中で待っている時は、いつも勉強か寝ていました、だから運転手をしたのです。

その後、雅子は飛ぶ様に売っ子になり、何処でも引っ張りだこでした、でも雅子の仕事が終わっていつも夜迎えに行っていました、会うのは夜遅くでした、雅子が朝早くからの仕事の時は、当然私が車で運転して乗せて行っていました、お父さんからお願いされていたからです、今でいう「パシリ」ですよ、そうやって付き合ったんだと思われるでしょうが、まだお付き合いしてないんです。

当時、私が住む家を借りたのは、お相撲さんのスポンサーから車が置ける一軒家を貸して頂いたんです、広く何人もが泊まれる家でしたから助かりました、家賃は安かったです、それも渋谷区笹塚でした、阿佐ヶ谷は近かったです、借りていた家は売ってやるとスポンサーから言われ、購入しました。

雅子の仕事現場は調布の日活撮影所で近くでしたから、雅子は自宅に帰るより私の家で泊まって、又朝、撮影所に行った方が身体には楽でしたから、ちょいちょい私の家で泊まるようになったんです。

ハッキリ言って、普段スッピンで雅子を見て「夏目雅子」だと、気づいた人はいませんでしたよ。

私が、後に結婚した嫁さんの方が背が高く美人でした、性格は少ししっかりしすぎていましたけどね。

私は雅子の事は高校生くらいからしか、知らないですが、高校生・学生時代からは全て知っています

それに雅子も「○○明代」と私がお付き合いしていて、ダメになった事も知っていますから、会って食事したりして、私を慰めていたんでしょうね、優しい雅子でしたから、有り難かったですよ。

家で食事して風呂に入って寝ようとした時に、応接間で雅子がセリフを覚えていたんです、大きな声で「意気地なし」と、突然私に向かって言われたから、ビックリして雅子を見たら、泣いていました。

当然セリフを覚えて、演技の練習していると思っていたら、少し様子が違っていたんです、ずっと私を見て泣いていましたから、雅子の横に座り話をしようとしたら、・・・でした。 

ここからです、私と雅子がお付き合いする様になったのは、お父さんには報告に行きました。

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