追悼E(あなたに逢いたい)

 

 

今回、彼女に渡す筈だった「六文銭」を掲載します、彼女は「早く貰いたか〜」と、言っていました。

会った時に言っておいたんです、あの世は「六文銭」しか要らないよと、父親から聞いていたと言います。何が何でも「ほしか〜」と、・・・のコンサート会場に来てほしか〜と、言っていました。

私が今住んでいる高層マンション(タワーマンション)の下にホテルがあるんです、そのホテルで彼女のコンサートをやる予定でした、だからその時に会えるからと思い、待っていたんです。

最後の約束が守れなくて残念です、いつでも会えるという考えがね〜・・・。

私と一緒に終活していましたら、まだまだ生きられたと思います、また私が長生きをするように「日々気をつけて 」彼女の事を見ていました、その事だけは自信があるんです、どうしてだか分かります。(私は目を見れば大体分かるんです、感じるんです)

それは、歳をとったら常に身体の事を考え、日々の出来事をチェックしたりし、ちょっとの変化を見逃さないで、病院にて「検査・検査」をするんです、今でも私は日々身体の事を気をつけて、2ヶ月に一回は必ず検査しますそうしないと何処かがむしばまれてきます、早め早めの対応をしないと後悔が残りますからね。

今回は、ハッキリと言わせて頂きます、最後は長生きぜよ(土佐弁で/坂本龍馬も言っていたと過去帳に記載あり)と言われています、それでも早死にするんです、それは「油断」するからだと、住職はいいます。

今回一番悔しい思いをしたのは、私が一生懸命考えて、考え抜いた「詩」は「もう一度逢いたい」ではなく

、それは「あなたに〜あなたに〜逢いたい」です、詩に繋がりがないのと、リズム感がないからと、○○さんに何度も言ったんです、聞いてくれなかったです、何かあれは反社の方が出てきて・・・されました。

あなたに〜あなたに〜逢いたいと、彼女の声量と音程で、もっと低音高音を引き出して、歌わせるべきだと強く言ったんです、唸って唸って唸らせるべきだと、今出来ている曲(この淡々としたリズム)では彼女の個性を出せないので、音(演歌調にリズム)を大きく出したり伸ばしたりするべきだと、言いましたけど。

出来上がった人の詩をバサバサ書き変えるのは簡単だろうと、言いたいんです。

最初から最後まで、全ての「詩」が繋がらないと、作品では無いからです。(悪しからず)

 

 

 

 

これが私が彼女に書いてあげた「詩」です、「もう一度逢いたい」ではないです、「あなたに〜あなたに~逢いたい」と、願いを書いたんです。(黒い部分は秘密です)

10代の頃、彼女がまだ○○明代だった時に、一度だけ相撲の千秋楽の打ち上げパーティーで「歌」を歌ってくれたんです、私が初代・貴乃花関の運転手のアルバイトをしていましたから、次は横綱・輪島関でした

、相撲の荒瀬関が高知県での親戚で、同級生でしたので、その紹介で運転手をやっていました、お相撲さんの周りは凄い「タニマチ」の人ばかりでした、日本のトップクラスの方達が、皆さんお集まりでした。

彼女が歌の上手い事は荒瀬関が知っていましたので、司会の呼び出し三郎さんに紹介して歌を歌わされていました。彼女が「歌」を歌い終わり、会場に来ていた後援会の方や親方連中、輪島関、魁傑関、荒瀬関、龍虎関、色々な方から大声援で、拍手が鳴り止まなかったです、会場には歌手のやしきたかじんや浜木綿子さんが来られていて大ウケでした、浜さんはやしきたかじんに対し、いいんじゃないのと、言っていました。

その時、呼び出し三郎さんが、会場に来られている皆さんに「彼女の事を・褒めちぎって」必ず彼女は、歌手で「大成」すると言われ、聞いた皆さんが、又拍手喝采でした、やしきたかじんが俺の事務所に来いと怒鳴っていました、会場は大爆笑でした、皆さんの前で彼女の「争奪戦」が、おこなわれていました。

会場に来られている皆さんから「アンコール」を言われ、司会の三郎さんが彼女に耳打ちしていました。

それ程、歌は上手でした、パーティーが終わりかけた時に、演奏していた方達と彼女が打ち合わせして「ジャズ」を歌う段取りをしていました、彼女と即興で演奏し、そのリズムに合わせてジャズを歌うと話していました、本来は終盤を過ぎればお開きになるんですが、この時ばかりはお開きにはなりませんでした。

その時に色々な「タニマチ」の方々から、割り箸に千円札を何枚も挟んでご祝儀だと頂いていました、彼女は1人で持てないくらいご祝儀を頂きました、私が手伝いして割り箸を貰って抱えていました。 次 回