追 悼A(心を込めて)

 

 

 

私はお寺の子供で貧乏でしたが、やっと大学に行けたんです、だからアルバイトをしないで、学校に行き授業でやった事を、完璧に覚えました、2度と「後ろは振り返らない」そんな勉強をしました。

だから、覚えた教科書や辞書や六法全書は破って捨てていました。(食べていました・食べるという)

その教科書を捨てていたら、彼女が「むぞなげな、もったいなかと」、言いますから、私の勉強の仕方を教えてあげたんです。

それは、一度覚えたら絶対に忘れない、だから一度覚えた本は要らないと教えてあげたんです。

彼女は感動して、オドマも「一度聞いた音楽ば、2度と忘れんと」言われた。

田舎から出てきた田舎もん同士が、2人で協力して毎日一生懸命、努力・勉強して生活していました。

家の住職とお袋が上京してきた時に、2人で迎えに行き、4人で食事した時に彼女は恥ずかしそうに住職に挨拶したんです「初めまして」とね。

その時、住職は彼女に対して、土佐弁で「こじゃんと、ベッピンじゃ」と、言ったら、彼女は分かったらしく「お父さん、嬉しか」と、言って打ち解けたんです。

住職も彼女の事が大層気に入ったみたいでした、住職も若い頃は、歌手になりたかったと話しました。

久しぶりの東京だし、お袋と一緒だから冗談かと思って聞いていました。

お袋が、お父さんは高知では歌が上手く有名だったと、あっちこっちから「お呼び」が掛かって出かけていたと、住職はお酒は飲まないので、酒の席での会話が苦手だったと、又嫌だったと言います。

歌手になるチャンスはあったんだと、一年に一度どさ回りの人達が来て、地域の方が集まった時に、今でいう「前座」で歌っていたといいます、住職がその会場に行かないと地域の総代の方が呼びに来て歌わされたと言います、まだ10代の頃であったと言いました。

長男でなければ、そのどさ回りの座長と一緒に東京に行ったと聞きました。

初めて聞く住職の凄い話でした、お袋が話し終わったら、住職は彼女に向かって「好いとるもん同士が一緒になるのがいい」と、喜びながらいい、母親と2人して、微笑えみ、彼女に話されていました。

私が食事代金を支払いしている時に、彼女に対し住職は何か話をしていました。

「東京は、皆田舎もんばっか、アイツもコイツも田舎もん」だと思って、恥ずかしがっちゃいかんと。

もし、おまんに対し、偉そうな事を言う奴がいたら聞いてやれ「おまんは何処から生まれたんや」と。

あたしは「お母の腹から生まれた」と、言えばいいと。

そしたらそいつは「おれもお母の腹から生まれたと」必ず言うとね。

そしたらそいつの目を見て、こう言えばいいと、同じ腹に「偉い」とか有るのかと、言えばいいと。

先ず間違いなく「すまなかった」と、言うと教えられたと、言います。

又、お前は「学」が無いからな〜と言う人間がいたら、こう言ってやれと。

あたしの親が、もう少しお金があって賢ければ「おまんとあたしの立場が逆になってたんや」と。

その時におまんに「学が無いの〜」と、聞いてやると、その時どんな気持ちを味わうか楽しみだと。

今度生まれ変わったら楽しみやな〜と、言いなさいと教えられたみたいです。

況してや、人を見下した人間に遭遇したら、こう言ってやれと「明日が楽しみだ」と、「お天道様がなんていう」かなと、言えばいいと、住職から言われたと言います。

最後に住職は彼女が挫折しそうになったら、上を見て、指をさし、「私にまだ日が当たらない」と、言いなさいと、必ず「何かが聞こえる」から、聞き耳を立てなさいと。

 

この言葉を肝に銘じ人生を歩んで行けば、何も恥じる事はないし、何も怖がる事もないと、又、自分が信じた道を突き進んで行けば、必ず「成就」するから、頑張れとね、

「有難い」教えであったと、住職が帰った後で聞きました。

勇気100倍貰った、これから何も引け目を感じる事なく生きていけそうとね、嬉しそうでした。

当時は、戦争帰りの人が「偉そうに大手を振って」歩いていましたから。

何処かで遭遇すれば「お前は〜」等を発していたんです、お国の為に働き、命辛辛お帰りになったんだから、分からないでもないですが、其れにしても、偉そうだし、悪かったです。

彼女が働いている「店」に、酔っ払いやら、色々な人が来て、彼女が嫌な思いをしているだろうと思い、住職が教えてあげたんだろうね。 

住職が同じく「歌」を歌う席に呼ばれ、周りから色々言われ、嫌な思いをしたんだろうね。

次回に