追 悼@(心を込めて)

 

 

 

学生時代に大変お世話になった方が、又1人お亡くなりになりました。

10代の頃知り合い、何気ない会話から「お互い田舎から出て来てたという事もあり」親身になり、会う様になったんです。

会うのは、いつも「銀座の三越ライオン像」の前でした。

初めて、本当に初めて会ったのが、銀座の「並木通りの食堂」でした。

同級生と皆んなで野球の応援の帰りに立ち寄った食堂で、皆んなが中に入り注文をしていたのですが、私は「お金」が無かったので、外で皆が出て来るのを待っていたんです。

その時に、彼女が「如何して中に入って食事しないのか」と、中に入って「皆んなと一緒に食べな」と、声を掛けてくれたんです。

私は「いいですよ、お金が無いから」と返事したんですが、彼女は笑いながら私に言ったんです。

「いいわよ、私が貸してあげるから」と言われ、中に入って皆んなと同じモノを食べました。

食べ終わって帰ろうとした時には、彼女は居ませんでした。

ちゃんと私の食事代金は、払ってくれていました。

有り難かったですが、お礼を言えないで帰りました。

 

家から送金があり、借りたお金を返しに並木通りの食堂に行ったら、彼女は居なくて、お店の叔父さんが言うには、昼には来るから、何処かで時間を潰していたらいいと教えて貰い、三越のライオン像前で時間を潰していましたら、彼女が来てくれてお金を返しました。

この時にお会いしなかったら、未来永劫お会いする事はなかったです、そういう時代でした。(全く知らない人間に、初めて会った人間にお金を貸してくれたんです)

それから、又会う様になり彼女の仕事が終わって会っていたんですが、暫くして、私の借りている部屋(下宿先)にて生活する様になりました。(コッソリ部屋に出入りしていました)

大家さんにはバレていましたが、何も言わなかったです、有り難かったです。

少しの間でしたがね。

その頃は本当にお金が無くて、電車に乗る電車賃やバスに乗るバス代金が無い時代でした。

私だけでなく、世の中全ての人がお金が無かったんですけどね、だから私は一生懸命勉強したんです。

彼女は、私がお金を持っていないのを知っていましたから、いつもお金を置いてくれていました。

 

彼女とは少しの期間でしたが、楽しい生活をしましたね。

彼女の方言(やっチロ弁)が面白く、いつも2人で私の方言(土佐弁)とで、話をしていました。

八代(やつしろ)とは言わないんです。

「やっチロ」と言っていました。

私の事を「たいぎゃー、すきったい」と言いますから、いつも笑いながら話をしていました。

 

 

彼女は自分が無学だから、私には勉強して「偉くなって」と、いつも口癖の様に言っていました。

大学に行った事が無いからと言うので、ちょいちょい大学に一緒に行き、学生食堂で昼ご飯を一緒に食べました。

その時、彼女は「うんまか〜」と大きな声で言っていました。

 

私が授業を受けている時は、大学の校庭でスケッチしたりして、私を待っていました。

校庭のベンチで「寝ている」事が多く、私は、彼女の寝ている姿をいつも見ていましたが、起こさなかったです。

そらそうですよ、昼・夜「店」で大きな声で歌っていますから、相当疲れているんでしょう。

ここにこんな事を書いて、皆さんにお話ししていて、そんな所で(ベンチ)寝ているなんて言うと、若い女性がと思われるでしょうが、当時は皆さん「苦学生」が多かったですから、学校のあちこちで寝ていました。

其れ位、世の中は「貧しかった」んです、仕事していない学生はいませんでした、皆アルバイトしていました。次回に