啓発(己の都合のいいように考えると・・・)B

 

 

 

 

今、現在病魔と戦っている友人と、この前からメールでやり取りしているんですが、なかなかいい言葉をかけられないです。

ただ「頑張れ」では可笑しいし、どうしたらいいのか考えていたら、なかなか考えが思いあたらない。何気なく田舎に帰った時に、ご先祖様の墓参りに行って掃除していたら、隣の墓を掃除していた叔父さんに話しかけられた「良く、墓参り」しているなと。

当然「有難うございます」と返答して、掃除していたら、叔父さんが「俺の息子や、40で逝ってしもうた」と、淡々と話をされた。

ただ、叔父さんの話を聞いているだけです。

 

 

その叔父さんが「病院で息子が、わしの目を見ていたから」言ってやったと。

最期くらいは「笑顔で生活しろ」と、言ったら、息子は「涙を流し、そうする」と、言い、それ以来会うと「常に笑顔」で、わしに接したと、言います。

息子は、辛かったと思う「痛くて、眉間に力が入り、しわがよる」そんな日もあっただろうに、でもわしと会う時は、常に「笑顔を忘れず」イキイキした顔をしていた。

ある時、わしは息子に言った「無理して笑顔」をつくるなと、そうしたら息子は「親父が来た時くらいは、笑顔でいる」と、言った。

寝る前に、鏡に向かって「笑顔をつくっている」と、看護師さんが言っていた。

息子は、見ていた看護師さんに「明日、親父が来たら、もっといい笑顔」を、見てもらいたいと言ったと。

わしは、それを聞いて涙が出て止まらなかった、と言います。

ついつい私も貰い泣きしました、私は「自分の子供に常に笑顔を見せろと、言えるか」と、考えた。

叔父さんは「君の家は代々お寺だから、いい説法聞いている」だろうと、言います。

私は、答えました「日々生活を送っている時は、笑顔で」いるようにしろとは、言われています。

でも、叔父さん「最期ぐらいは、笑顔でいろ」とは、私は言えないですと言うと。

叔父さんは、母親が亡くなる時、君の家の住職からこんな言葉を言われたと、母親は言っていた。

母親は「いい人生だったなら、笑顔で逝きな」と、住職から教えられたと。

だから母親は、わしに「お前を授かり、いい子供に出会え」幸せだったと、言われ、いい人生を全うしたと「笑顔」で亡くなった、わしは嬉しかった。

人生長いか、短いかであり、その人生を「全うしたかが、大切だと」君の家の住職に教えられた。

母親が「有難い言葉に救われ、亡くなった」と、住職に報告に行った。

その時に住職は「難しいぞ、人は死ぬ時に素直になることは」と、言われた。

だから、わしは息子に言ったのだ「この子は、素直になったか」見極めたのだ。

住職は、人は素直になったら「常に笑顔になる」と、言われた。

わしは、息子に言ったのだ「変われるものなら、変わってやる、これも定」だと思い、残された人生を悔いの無いように生きろと、言ってやった。

息子が悲しそうな顔をしたから「最期くらいは、笑顔」で生活しろと、言ったら「喜んだ顔に」なった。

わしは、ここに来て「母親に、すまない」と、謝っている。

わしは、親から「いいモノ」貰ったが、息子にはいいモノを挙げられなかったと、いつもここで話をしている、君が掃除をしながらいつも独り言を言っているのと同じだけどなと、言われた。

「いいモノ」とは、皆さん分かりますか、それは「健康」というモノですよ。

今回、墓参りに行って、叔父さんから聞いたこの言葉を友人に送ってあげる。

それは、何があっても、どうなろうが「残された人生、常に笑顔で」いるようにしろとね。

前にもこのホームページに記載した、家の住職の言葉を思い出している、それは人というモノは、素直になるのは難しいけど、素直になれば「笑顔」が出て、人生を過ごす事ができると、言われた事を。