啓発(後で後悔するよ)A
前回書きましたら、誰や何処の人間やと、凄いですよ、被差別部落の人が怒っています、個人情報は被差別部落と言いますからね。
昔は結婚する相手を色々調べたりしていたが、それも今はやってはいけない事になった、弁護士会館に行くと、ポスターが貼ってある、個人情報や素性情報を取ったり、調べたりすると、犯罪ですよと。
人それぞれ事情を持っているんです、我々学生時代は大学の紛争(東大安田講堂)の時代で、当時の警察官は皆んな戦争帰りの人間が警察官になっていた、又県では講習を受けて弁護士になったんです。
戦争が終わって男性がいないから誰でもなれたんです、でも弁んや、でも警ん(弁護士でも、警察官でも)でもなろうかと。(当時はお寺さんは皆さん弁護士でした・講習を受けて貰えたんです)
こんな時代に(戦争で人を殺したり、女性を強・したり)こんな行為をした人間が、日本に帰り日本の秩序を守ろうとしていたんです、そんな人間と街ですれ違えばどうなります、当時はお金が無い時代ですからね。
擦れ違いざまに「おい、学生、金を貸せ」ですよ、無いです、と言えば。
親の脛を齧っている奴が生意気だと「皆んな警察にしょっ引かれた」んですよ、やりたい様に当時の警察官はやっていましたからね。(罪名は恐喝・傷害・何故こんな罪名が付くのか、可笑しいです)
飲み屋に行けば警察手帳を見せて「無銭飲食」でしたからね。
そこでアルバイトしていた学生が「何が何でも、支払いして欲しいと、言うと」しょっ引かれましたからね「罪名」は脅迫、恐喝ですよ。
当時は人を逮捕してから「罪名」を考え、決めていました、そんな事が罷り通る時代でしたね。
当時、学生は皆んな、警察に就職が決まっていたんです、その警察官の行為で警察の就職が「パー」でしたからね。
警察の就職が成功していれば、今頃「警視総監」でしたよ、なった方が良かったのか、ならなかった方が良かったのか、どっちが良いかは分からないですが、本当に凄い時代でした。
そんな行為をした警察官は、長生きしないですよ、学生皆んなで当時その警察官の家に押しかけましたからね、3人の警察官が退職を待たずに亡くなりました、これこそ「バチが当たった」んですよ。
亡くなって学生皆んなでその警察官の家に行き、線香をあげて奥さんに警察官のやった行為を話したら、それは、心から謝りましたね、その後も奥さんが亡くなるまで学生の所を回って謝り続けていました、でも皆んな最後まで「許さなかった」と言います。
どうして警察官の住所が分かったか聞きましたら、東京都の偉いさんの子息が入っていましたから。
ある新聞にこの学生達の事がコラムに掲載されたんです、その新聞を秦野章警視総監が読まれたと。
その学生達の心情を秦野章警視総監が汲まれて、皆んなに「申し訳なかった」と、詫びていました。
家の住職が言っていました、あっちが良いか、こっちが良いか、それは分からんが、それも人生と思い、より一層の努力をして「自分を磨け」と皆んなにハッパを掛けていました。
その5人の学生の団結力と決断力は凄かった「日本の有りとあらゆる、お金をかき集めた」今は解散して田舎で悠々自適な人生を過ごしている。(個人情報を誰々が取りましたよと、生活安全課に・)
家の住職は、高知県の家の近くの出来事を話してくれた。
あの警察官の家の裏に、闇米だと言って取り上げた、その闇米の袋が捨ててあったと、言います。
私は聞きましたよ「何故、分かったのと」言ったら、袋に名前が書いてあったと、あの夫婦は字が書けないから、ワシが書いてやったと。
周りから、そこの子供はずっと言われていた事を覚えている「おい、警察官の息子、人のモノ(闇米)で、デカくなりやがって」と。(子供の頃は意味が分からなかった)
警察官でもこんな行為をしていたんです、田舎の警察官はまだ可愛い方です。
人にはそれぞれ事情というモノがある、その事情を知らないで人生を過ごすと、次の世代が痛い目に
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