啓発(親を何時間も待たすとは)

 スポーツの合宿のため今は海外です、その海外で空港に息子を迎えに行った所、入国の入り口でお会いしたお母さんが、一時間近くも座って待っていたので「お母さんどうされました、一時間も此処にお座りになっていて、誰か迎えに来るのですか」と「声をかけましたら」お母さんは「子供が此処に先に来ていて、きょうレンターカーを借りて迎えに来てくれる」との事です「何かあったんではないかと思ってるんですが」と心配していました。私は「大丈夫ですよ」と心配しているお母さんを宥めました。なかなか来ない娘さんを待ちながら雑談していました。一時間を少し廻った時に娘さんがやっと現れた、お母さんは「大丈夫だった」と心配していたが、娘は「お待たせ」と屈託のない顔で言った。横にいた私達はその光景を見ていて少しカチンときた、大切な人が来たのに何時間も待たすとは、大切な人は「お母さんではないのかな」と言いたかったがやめた。私達は娘を無視して「お母さんゴルフにでも行きましょうか」と話していたら、娘は嫌な顔をした。隣にいた千葉県の有名高校の元監督が「何やら娘に言わんとしたから」私は黙って阻止した、そんな娘に何を言っても分からないから、私は娘に遠回しに言った「今私の息子が日本から着いた、私には大切な息子だから私は一時間も前から待っている」と、大切な人を待つ時は先に来てじっと待つのが相手に対しての「思いやり」というものだと。もう一つ、先に来て待つという事は相手は必ず分かると、こういう行為が積もり積もって相手(息子、娘、恋人)に私は(こんな親父、こんな恋人)こんな人間ですよ涵養「かんよう」(少しずつジワジワと時間をかけてしみてきて分からせる)だと、地道に行なえば相手は分かるのですよと。この子(娘)は親から全てのモノを与えられ、我儘いっぱいに好きなように生きて来たんだなと感じました。ここで一言「良い大学、良い家庭、良い両親」の環境で育っても忘れているモノがある、それは相手(人)に対しての「思いやり」である。その「心」というモノが欠けている、強いて言えば親の責任でもある、「良い家庭、で恵まれているけれど」暖かみが欠けている、だから「娘が他人に対し嫌な顔、不愉快な顔を」知らず知らずのうちにしてしまうのです、それが眉毛一本であっても動きを察知されるのである、心の未熟差が見えてしまうのである。我が住職曰く「己を鏡に遷してみろ」そのままの自分が写っているだろう、その鏡には「人の表情には緊張や力みが表れる」その他の「心の中が」写ったのだろう。それを「心の醜さ」というのだとの教えです。又住職曰く「その子(娘)に洗面台を風呂場を使わせてみろ、その子の本性が形として顕(よくない)われるぞ」又住職曰く「その子の用をたした後を見てみろ、その子の本性が形として顕(よくない事)われるぞ」と言われた。私は住職にそっと聞いた、洗面台とか風呂場とかトイレとかにどんな本性が顕われるのと、笑いながら住職は「そうかお前はまだ教わってなかったかと」一度言われた事は二度と聞くなよと言われ、事細かく教わった。一つに人の気持ちを分かれ、二つに相手の立場に立て、三つに人に感謝の気持ちを持てと教えられた。それは洗面所を使ったら髪の毛が落ちていたり、風呂場を使ったら垢が付いていたり髪が残っていたり、トイレを使ったら用が残っていたり紙が残っていたりする、己一人で生活しているなら良いが、誰かと居たりした場合には「その相手に対しての思いやりが無くては」いけないと教えられた。皆さん自分の家庭では「ちゃんと教育してますか」