啓発(分かる人には分かる)
何年か前に、中国のインターネット上に、夏に1週間のツアー旅行で日本を訪れたという教育学者・熊丙奇(シオン・ビンチー)氏の文章が掲載された。
以下はその概要。
成田空港まで随行した上海のガイドは、現地で私たちを別のガイドに預けた。
日本で永住権を取得した30歳手前の中国籍の男性だった。
私たち一行は観光バスを借り切っていた。日本人の運転手は、最初の3日間は同じ人だったが、最後の日は別の仕事があるということだった。
3日目の仕事を終えたとき、バスに乗ったツアー客から彼に万雷の拍手が送られた。
彼は笑顔で会釈しただけで、すぐにいつもと同じようにバスを降り、トランクから30人分の荷物を慣れた手つきで運び出した。
その日は暑かったので、トランクの中はよりこたえただろう。
スーツケースの中の洋服が熱くなっていたほどだ。
この光景は、バスに乗っていたすべての人の記憶に深く刻まれた。
この3日間、私たちが朝出発するときには、彼はすでに準備を整え、トランクの中でしゃがんで私たちが荷物を渡すのを待っていた。
3日目の京都でのこと、私が昼食を早めに食べ終えて外に出ると、遠くにいた彼は猛スピードで走ってきて、バスのドアを開けてくれた。
午後、ツアーの中の一人がスーツケースから傘を取り出したいと言い、彼はほぼすべての荷物を出さなければならなかった。
荷物をすべて元に戻し終えたとき、彼は汗びっしょりだったが、いつも通りほほ笑んでいた、彼のプ ロ意識について話すことに、ガイドは不満げだった。
運転手は日本では地位が高くないという。
われわれの中国の同胞(ガイド)は自分のことを、「会社で最高のガイドで、日本で生活して15年になるが、中国籍を捨てようと考えたことは一度もない」と自己紹介したが、彼への拍手は日本人の運転手に送られた拍手よりもずっと小さかった。
北京首都国際空港から飛行機で飛び立ち、名古屋の中部国際空港に到着した時は午後5時過ぎ。
ホテルは空港から遠くなかったので、荷物を置いてから再び空港に戻り、そこから地下鉄に乗って名古屋の夜景を見に行った。
初めての日本旅行で日本語はひと言も話せず、地図を頼りに目的地を探すしかなかった。
空港から市街地まではおよそ40キロ。
地下鉄では約40分の距離だ。
切符を買って地下鉄構内に入ってから気付いたのだが、空港からはたくさんの路線があり、四方八方に走っている。
どれに乗れば名古屋駅に行けるのかわからなかったので、たまたま近くを通りかかった中年男性に尋ねた。
私が地図を指さすと、男性は私が行きたい場所がわかったようで、私を連れて止まっていた車両に乗った。
私は男性も同じ方向に行くものだと思っていたが、発車を知らせるベルが鳴ると男性はホームに降りた。
そして、ドアの向こうから手を振り、繰り返し何かを言っていた。
男性はわざわざ私を目的の車両まで送り届けてくれたのだ。
その後、東京などでも地下鉄に乗る機会があったが、その度に心の優しい日本人の助けがあり、無事に目的地に到着することができた。
奈良でのある晩のこと、私は細い路地の交差点で友人を待っていた。
すると、私の前を通り過ぎていく車が、みんな私の前で一時停車することに気付いた。
最初は気にしていなかったが、しばらくしてその理由がわかった。
ドライバーは私が道を渡ろうとしていると思い、道を譲ってくれていたのだ。
日本では、道幅や車が来ているか否かにかかわらず、信号のある場所では必ず信号を守って道路を横断する。
信号のない場所では、車は必ず歩行者を優先する。
道路は左側通行で、エスカレーターでは急いでいる人のために片側を空けておく。
渋滞した道路でも、無理やり車線変更したり、むやみにクラクションを鳴らしたりはしない。
道路の反対側車線がどんなに空いていても逆走する車もない。
ただ辛抱強く待っているのだ。
どう思います、余り変な目で見なくても、分かる人には分かるんですね。
日本人の「心使い」や気の使い方は、他の国の方達と少し違うんですよ、それは昔からの風習や躾でしょうね。
師匠(家の住職)が言っていました「人の悪は責めないが、自分の悪は律する」とね。
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