啓発(好かれなくていい)

 

 

こんな事を言う人がいます、あなたは「こうするべきだ」と、ね。

この言葉は、その人間に対しての「押しつけ」なんです、人は生まれも、育ちも(家庭環境)、年齢も、考え方も少しずつ違うから、面白いんです、皆んなが同じであれば、世の中 「ロボット」の世界でしょう。

それは、右向け右、左向け左の世界です、考え方や、行動や、喋り方が皆んな同じで、面白いですか。色々な考え方や、変な行動する人や、面白い喋り方の人がいて楽しくないですか。

 

又あの人は「ずるい」と言う人がいますが、この「ずるい」という言葉は、羨む(うらやむ・羨ましいと思う事、例えば、隣の家は大きくていいなとか、羨ましく思う事)事みたいです。

隣の芝は青い、という事と同じなんです、人のモノは良く見えるんです。

あいつは「良い女」連れているとか、良い女房だとか、良い家庭だとか、良い家だとか、言えばキリがないほど、世の中「不平不満」がたくさんありますよ。

 

田舎に帰った時、住職に言われました「随分お疲れの様だが、必要か」と、ね。

最初は、何の事だか分からなかったけど、田舎で数日過ごしていたら、お母から「帰って来た時は、誰かと思った」と、言われた。

はあーと思いながら、食事をしていたら、住職が「これを食べろと、柿をくれた」皮を剥いて食べると「渋柿」で、吐き出した。

住職はその私の動作を見ていて「渋いか、そうか渋いか」。

人生も同じだ「甘いモノにつられて行くと、後で渋い目に合うど」と言われました。

さっきの「渋柿を食べて吐き出した顔と、東京から帰って来た顔と、痛い目に有って嫌な顔した」その顔が、皆同じだと言います。

そんな顔していると、人生はいと言われました。

じゃ如何するか、聞きたいけど、黙って部屋に行き「寝転んでいたら」お母が来て、お経でも読めばと、言われたので、黙って住職の所に行って、座ってお経を一時間ほど聞いていた。

私がいるのが分かっていたみたいで、こう言われた「このの音は、何て言っているか」と。

黙って聞いていると、鐘の音が「価値観・価値観・価値観」と、聞こえた様な気がした。

足が痺れたので、立ち上がって出て行こうとしたら「人それぞれの生き方がある、如何生きるかは、自分次第だ」人の価値という物は個人で判断して決めるモノと、住職は言った。

又、お前は「ゼロからのスタート、何も考える事はない、何をやっても止めても、誰も何にも言わないし、言えない」それはお前が決める事だ、後悔のないようにしろと、言われた。

 

代々続く金持ちは「一代100年を食う」と、言うが。

お前は「一代100年勉学に励めば」それで良い、それが「」の伝統だと、教えられた。

100年生きる為には如何するか「考えれば答えは簡単だ」と、笑って住職は言うけれど、分からんな。

東京に帰る時に、お母が「これを持って行き」と、渡された。

東京に帰って、早速箱を開けると、何やら怪しげな事が書いてある掛け軸でした。

親思う、心にまさる親心、今日のおとずれ、何ときくらん。

よくよく調べたら、吉田松陰の絵と辞世の句でした。

子供が親の事を思う気持ちよりも、親が子供の事を思う気持ちの方がはるかに大きいもので、それなのに今日、自分の子供が処刑

されるという知らせを聞いて、どんな気持ちになっているだろうか。

 

この句から住職の気持ちを読み解くと、世の中の人との付き合いは本当に必要か、気の乗らない友との付き合いや、下げたくもない頭を下げる付き合いは、しなくても良いんじゃないかと、言っています。

人に嫌われても良い、世間から嫌われても良いから、止めて高知に帰ろうと決めました。